ハイドン作曲 弦楽四重奏曲ニ長調 作品64の5《ひばり》

エステルハージ侯爵家のお抱え楽団の楽長をハイドンが務めていた時期は最早バロック音楽の時代ではなかった。ハイドンがクラシック音楽史に確かに功績としたのは、交響曲の父であり弦楽四重奏曲の父だと言われるほど沢山の楽曲を残したことだが、交響曲に於いて、弦楽四重奏曲に於いて、ベートーヴェンの名作群が登場して、わたしたちには本当に音楽的に面白いと感じさせる曲は全作品数と比して、現代の演奏会やレコード、CDになっているレパートリーとしてはベートーヴェンに及ぶものではない。

ハイドンの交響曲は108曲あるが、第93番から第104番までの《ザロモン・セット》12曲が演奏会のプログラムになる機会があるぐらいで、全9曲が演奏会のレパートリーとして中心にあるベートーヴェンとは比較レベルではない。

モーツァルトより24歳年長で、エステルハージ侯爵家での活躍は評判があった。勿論、親交のあったモーツァルトとの比較が出来るわけであるが、作曲家としてのハイドン名声がヨーロッパ中に広まっていったのは1780年代から、こちらも弦楽四重奏曲は、所謂、ハイドン・セット(1785年作曲)でハイドンより先に極めてしまっている。そして、最もハイドンに聴くべき曲があるとしたら、最晩年に作曲した、《四季》や《天地創造》のオラトリオであることは揺るがない。個人的には《第二トスト四重奏曲集》と同じく、突然変異的な作風である《十字架上のキリストの最後の7つの言葉》もハイドンの芸術が結晶化した名作として外せない。

この「ニ長調」《ひばり》 1は、全6曲から出来ている作品64の第5番で、このセットは、俗に『第2トスト四重奏曲』と呼ばれている。というのは、このセットがヴァイオリニストのヨハン・トスト 2に献呈されているからである。作曲年代は1790年(58歳)。この「ニ長調」に《ひばり》という愛称がつけられているのは、第1楽章アレグロ・モデラートが、恰も《ひばり》のさえずりを思わせるかのような、明朗な主題から始まるからで、ハイドンの弦楽四重奏曲の中では、一番人気のある作品となっている。

この第1楽章はソナタ形式の教科書みたいな作品である。しかも導入部はひばりが鳴いている、大空高く舞い上がるという想像をさせるほど特徴のある独特の音を第1ヴァイオリンが出している。特に、分かり易いのが第2主題で、これは第1主題が余りにも美しい旋律なので、よく分かるように「ひばり」のさえずりを擬音したのか旋律らしくない。「ひばり」というのは聖書では空高く舞い上がるという象徴であるから、ハイドンが意識的にこのソナタ形式の中にも美しい旋律を作り上げたのは想像が容易いが、エステルハージ候の要望があったのか、何らかの動機があったかは想像の域を出ない。

この作品64の6曲のセットを、俗に『第2トスト四重奏曲』と呼ばれるのは、2年前の作品53、54の6曲のセットを、俗に『第1トスト四重奏曲』と呼ばれているので、区別している。このトストは同一人物ではないと、考えられている。しかし、全くの別人であるとは考えられません。唯一の可能性はトスト夫人なのです。そう考えられる根拠は歴然としたエステルハージ侯爵家の記録があります。

室内楽に興じる音楽家たち
室内楽に興じる音楽家たち
ハイドンが『第1トスト四重奏曲』を作曲した2年後の、1790年。エステルハージ候爵夫人が没し、家事をつかさどる役で、マリア・アンナ・イェルリシェックという名の女性が侯爵家にやってきます。この女性は侯爵夫人の代役的な役割ですので、ハイドンも「女主人」として接したようです。ところが、間もなくニコラウス・エステルハージ候も亡くなり、彼女は御役御免になり、その後、ヨハン・トストと結婚することになります。

つまり、この『第2トスト四重奏曲』は、仮にも一時期「女主人」として接した女性の、その結婚に対するお祝儀の意味があるようです。ハイドンが作曲を依頼された形跡が無いというのが多くの研究家の一致した意見ですが、証拠の残らない口約束で依頼されたとする考え方よりも、自発的にハイドンが作曲して、お祝儀としたと思えます。表面上はあくまでも明快、しかしながら、気のおもむくまま如何様にも変化し得る、という遊び心を備えた曲の数々で、円熟期に達したハイドンが、これまでの曲集で行なってきた実験を踏まえて、重要な表現の手段として実践しているところが大きな特徴です。

急激な転調やリズムの変換、突然のユニゾン、その他、人を驚かせるような仕掛けが随所に見られ、特にソナタの表面的な展開が実に破天荒です。最大のポイントは再現部が一筋縄ではいかないことで、この作品64第5《ひばり》の第1楽章は、その典型です。1780年に入った頃、ハイドンが多忙になり過ぎ、作品の質が微妙に落ちてくるという現象が見られますが、この『第2トスト四重奏曲』には当てはまりません。それよりむしろ、エステルハージ侯爵の好みに応じて作曲してきた鬱憤を吐き出すような突き抜けた ― それは実験という試みを孕んでいるのではない ― 面白さがあります。

楽章は全部で4つ。無窮動風の第4楽章ヴィヴァーチェでも、小鳥のさえずりのような旋律が活躍する。ハイドンの作品の中には、こうした愛称のつけられたものが多く、中にはその愛称に相応しく無いようなつまらない曲もあるけど、この《ひばり》は、大変充実した内容を持っている。

第1楽章 ニ長調 2/2拍子
ソナタ形式。第1ヴァイオリンによって奏される、冒頭の第1主題が「ひばり」の旋律です。展開部以降も、第1主題の情趣がなされています。

第2楽章 イ長調 4/3拍子
3部形式の緩徐楽章で、トリオはイ短調です。

第3楽章 ニ長調 4/3拍子
快活なメヌエットの楽章で、トリオはニ短調、対位法的な書法がみえます。

第4楽章 ニ長調 4/2拍子
3部形式のロンド風の楽章で、常動曲風に奏され、中間部はニ短調、フガートの書法によるもの。

レコードの手引

スメタナ弦楽四重奏団(EMI)の演奏が、旋律を存分に歌い流した晴朗な表現で、こんな演奏はめったに聴けない。LP初出時は、裏面には、ハ長調の《鳥》がはいっている。このように鳥にちなんだ曲を組み合わせた企画は、いかにも洒落ていて憎い。《鳥》もたいへん見事な名演奏である。

モノーラルだったらウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団(EMI)の演奏をとる。ゆったりとしたテンポで旋律を充分に歌わせた。やわらかな表現に魅力がある。裏面はハイドンの《皇帝》。ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団の傑作の一つです。「ひばり」でのカンパーの第一ヴァイオリンが、明るさの中にもかすかに漂う寂寥感を醸し出し、すっかり参ってしまいました。素晴らしい演奏です。


  1. いつ、《ひばり》という愛称がつけられたのかは不明。 
  2. エステルハージ侯爵家に仕えるハイドンを楽長とする楽団のヴァイオリニスト。ヴァイオリン奏者を務めたのち裕福な商人になった。 

※3,000文字前後で創作したダミー記事です。

Image courtesy of NamikizakaRecords

投稿者:

NamikizakaRecords

地方に生まれ、風俗が地場産業の熊本で育ち、幼い頃から身近な存在だった。大人たちの赤裸々な姿を見ながら遊んでいたので、見よう見まねから始まって自然と男と女の体験は数えられず、風俗の中で暮らしています。