ポリーニ初来日

現代を代表するピアノの巨匠マウリツィオ・ポリーニは、1960年のショパン・コンクールで、審査員委員長のルービンシュタインをして「私たち審査員の中で、彼ほど上手く弾けるものがいようか」と言わしめるほど圧倒的な優勝を飾った。そのとき18歳のポリーニはすぐに演奏活動に入らず、それから10年以上経った1973年春に初のディスクを発売、翌年4月に来日、25日に東京で初のリサイタルを開いた。

今ほどのコンサート専用のホールで無く、音響も十分といえない状況だったが、チケット代が無名の新人並みの安さだったこともあってか、椅子席横の階段に座って聴く者まで出る大盛況。前半のシューベルト、後半のショパンの《24の前奏曲》が終わっても誰一人席を立たず、それから30分も続いたアンコールの2曲目が、ショパンが書いた最も劇的な傑作のひとつ、《バラード第1番》だった。これほど衝撃的なデビューはその後皆無。

バラードって何だろう。たとえば「好きなバラードを1曲挙げて下さい」と問われて、あなたは何と答えますか。

嘗てネットの掲示板では、洋楽、J-POPから様々なアーティストの様々なヒット曲が並んだ。それから分かることは、緩やかなテンポの情感を感じさせる曲であるところが共通なぐらいで、一般に、愛をテーマとするセンチメンタルな歌を広くバラードと称するようだった。

もともとバラードの語義は、14〜15世紀フランスの宮廷風の恋愛を主要な主題とした歌曲スタイルに由来する。また、中世以来のイギリスの歴史物語や伝説、社会風刺を題材にした歌曲にバラッドがある。

しかしショパンの《バラード》は、どれとも異なる。ポーランドの詩人ミツキェヴィチが書いたバラードからインスピレーションを受けたとも伝えられるが、対象になった詩があるわけではない。むしろ標題音楽では無く、ソナタに近い。ショパンの独創から生まれた、絶対音楽だ。いずれもドラマティックで感情表現の振幅が大きい。

なかでも、この《バラード第1番》は人気が高い。陰鬱で情熱的な第1主題と甘美な第2主題を中心に、目まぐるしく曲調を変化させながら、作曲時25歳の青年のエネルギーが華麗に爆発する。これほど起伏に富んだ音楽は、曲の長さこそ10分ほどだが、交響曲を1曲聴いたかのような充足感を覚える。

この曲、終盤のコーダが実に派手なのだ。「急速に、熱烈に」の指示通り、熱に浮かされたかのような凄烈な音楽で、技術的にも腕の見せ所で最後の両手のオクターヴは、ピアニストによって弾き方は様々、一端テンポを溜めるのも開放的効果を得るが、ホロヴィッツは、さらに加速しながらクレッシェンドさせ弾き終えることで、恰も中絶したような悪魔の哄笑を残している。

シューマンは、この曲に感銘して「ショパンの最も美しい作品」と称賛している。しかし、その称賛を受けてバラード第2番をシューマンに、ショパンは献呈したが彼は、そちらはお気に召さなかったようだ。シューマンの嗜好からすれば、わかる気もする。

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