世紀の大作曲家たち

印象主義へつながるフランス的音楽を完成した エルネスト・ショーソン Ernest Chausson 1855.1.20〜1899.6.10、フランスの音楽の振興に努め、交響曲、室内楽、歌曲、歌劇など幅広い分野を手がけドビュッシーやラヴェルに道を付けた。

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フランス近代音楽界の教育者 ポール・デュカス Paul Dukas 1865.10.1〜1935.5.17、フランス楽壇に認められ奇抜な着想の面白さと、色彩的なオーケストレーションで不動の地位を確立し、評論、教育、出版の多方面に渡っても優れた業績を残した。

フランス近代歌曲の父・シャルル・グノー Charles François Gounod 1818.6.17〜1893.10.18、フランス歌曲に寄与した業績も忘れてはならない。抒情的でありながら宗教的な荘厳さを持ち、高い品位と美しい詩情が人々から好まれている。

ヴェネツィアの聖マルコ大聖堂のヴァイオリン奏者を父にもって生まれ、父からヴァイオリンの手ほどきを受けた。20歳のころ聖職に入ったが髪の毛が赤かったので、「赤毛の坊主」とからかわれた。ヴェネツィアの慈善病院附属の女子音楽院に長く勤…

ミラノ音楽院で、プッチーニとともにポンキエルリに師事したが、間も無く中退し、旅まわりの歌劇団に加わってイタリア各地を放浪、この間に多くの歌劇作品に接した。1890年、ソンツォーニ音楽出版社が一幕もの歌劇の懸賞募集を行い、これに応…

後期ロマン派の歌曲作曲家、ウィーン音楽院に入学したが校長のヘルメスベルガーと衝突して退学し、あとは独学で音楽の研鑽に励んだ。ウィーンに自作を指揮しに来たワーグナーに面接して強い感化を受け、熱烈なワーグナーの心酔者となり、ブラーム…

イングランド西部の都市ウスター近郊で生まれた。最初、法律を学んだが、楽譜商兼教会オルガニストであった父の後を受けて独学で音楽を修め、これに専念することになった。作曲は15歳のころから始めたが、世に認められたのは遅く、41歳で作曲…

コレルリの流れをくむヴァイオリンの名手で作曲家。最初僧侶になるつもりで大学で神学と文学を修めたが、愛人と駆け落ちしたため僧職を捨て、ヴァイオリニストになった。晩年はパドゥアにヴァイオリン学校を建てて自ら校長となり、各地から集まっ…

フィレンツェ近くのモンテカティーニに判事の子として生まれた。ナポリ音楽院卒業後、ヴィニーの「チャタートン」のオペラ化を試みたが、興行師に騙されて借金を負い、ヨーロッパ各地を渡り歩いた。その間、尊敬するワーグナーに会い、彼のように…

“ロシア5人組”のひとり、海軍士官として勤務するかたわら、バラキレフの指導を受けて作曲の勉強をはじめ、21歳のとき「交響曲第1番」を書いて作曲家としてのスタートを切った。1871年の夏、アントン・ルービンシュタインの主宰するペテ…