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Ernest Chausson

Ernest Chausson 1855.1.20〜1899.6.10、フランス

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印象主義へつながるフランス的音楽を完成した

最初法律を学んだが、21歳でパリ音楽院に入学。作曲をマスネーに、オルガンをフランクにそれぞれ学んだ。ダンディとともにフランクに深く傾倒し、強い影響を受けた。師フランクとサン=サーンスが設立した「国民音楽協会」の書記を務め、史上初の自動車事故によって、44歳で惜しくもこの世を去った。彼の作風は、フランクの影響を受けたとはいえ、ワーグナーからの影響も少なからず認められ、抒情的で溢れるばかりの甘美で詩的な旋律の美しさが特色となっており、歌曲と室内楽曲に本領を発揮した。代表作としては、ヴァイオリンと管楽器のための「詩曲」や歌曲「リラの花咲くとき」、「交響曲変ロ短調」などが最も有名であり、またこれらの曲に彼の特性がよくあらわれている。

フランスの音楽の振興に努め、交響曲、室内楽、歌曲、歌劇など幅広い分野を手がけドビュッシーやラヴェルに道を付けた。

ショーソンは19世紀後半にドビュッシーやラヴェルの印象主義の前提となる独自のフランス的音楽を完成した作曲家である。ショーソンは、はじめ法律を学んで弁護士になったが、後に音楽の道を選び、1880年にパリ音楽院に入学し、最初にマスネ、続いてセザール・フランクに師事した。その後、ショーソンは1871年に組織されたフランクが会長を務めるフランスの”国民音楽協会”で10年間、その書記をするなど実務にたずさわり、フランスの音楽の振興に努めた。ショーソンは器楽曲、オペラ、声楽曲、ピアノ曲、宗教曲の作品を残しているが、そのうち最も有名なのは1896年作曲のヴァイオリンとオーケストラのための「詩曲(ポエム) Op.25」である。ショーソンの音楽はバランスがよく、落ち着いており、フランクやワーグナーの強い影響を受けたといわれるが、繊細でフランス的な旋律やハーモニーは独自の詩情に満ちた境地を造っている。ピアノ曲は数少なく、「5つの幻想曲 Op.1」、「いくつかの舞曲 Op.26」(96年)、「風景 Op.38](95年)がある。ショーソンは自転車で散策中、事故に遭い他界した。

Paul Dukas

Paul Dukas 1865.10.1〜1935.5.17、フランス

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フランス近代音楽界の教育者

パリ音楽院卒業後まもなく作品を発表して、はやくもフランス楽壇に認められるようになったが、1897年、ゲーテのバラードにもとづく交響的スケルツォ「魔法使いの弟子」をデュカス自身の指揮で発表し、奇抜な着想の面白さと、色彩的なオーケストレーションで、彼の不動の地位を確立した。ピアノ作品には、古典的手法で書かれた「ピアノ・ソナタ」、「ラモーの主題による変奏曲、間奏曲、終曲」など、歌劇では「アリアーヌと青ひげ」が残っているが、デュカスは、死の直前に70曲あまりの未出版作品を自ら破棄してしまったという。独自の感覚と作風によって、現代フランス音楽に著しく貢献したほか、評論、教育、出版の多方面に渡って、優れた業績を残した。

Charles François Gounod 1818.6.17〜1893.10.18、フランス

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フランス近代歌曲の父

フランスが生んだ歌劇、宗教音楽の作曲家。パリ音楽院で対位法、作曲法を学び、ローマ大賞を獲得して3年間ローマに遊学した。1851年に「荘厳ミサ」を発表した。その年、歌劇「サフォー」を作曲して、歌劇作曲家としての第一歩を踏み出し、1858年に喜歌劇「にわか医者」、1859年に大作「ファウスト」を発表した。ついで1867年には、ベルリオーズの影響のもとで作曲した大作「ロメオとジュリエット」を発表。この頃からグノーの創作は宗教作品に傾き、オラトリオ「贖罪」、「生と死」などの名作を生んだ。そのほか、のちのフランス歌曲に寄与した歌曲の分野での業績も忘れてはならない。グノーの作品は抒情的でありながら宗教的な荘厳さを持ち、高い品位と美しい詩情が人々から好まれている。

Antonio Vivaldi

Antonio Vivaldi 1678.3.4〜1741.7.28 イタリア

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ヴェネツィアの聖マルコ大聖堂のヴァイオリン奏者を父にもって生まれ、父からヴァイオリンの手ほどきを受けた。20歳のころ聖職に入ったが髪の毛が赤かったので、「赤毛の坊主」とからかわれた。ヴェネツィアの慈善病院附属の女子音楽院に長く勤め、この学校の生徒たちのためにモテットやカンタータ、オラトリオ、協奏曲、ミサなど多数作曲した。なかでも重要なのは協奏曲で、急 ― 緩 ― 急の3楽章の構成をとり独奏と総奏とが交互にあらわれるリトルネルロ形式によって書かれたその協奏曲のスタイルは、バッハに強い影響を与えた。数多い協奏曲のなかでは「四季」の名で知られる作品8のヴァイオリン協奏曲集と「調和の霊感」と題された作品3の12曲が名高く、協奏曲だけでも450曲も作曲している。

Pietro Mascagni

Pietro Mascagni 1863.12.7 〜 1945.8.2 イタリア

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ミラノ音楽院で、プッチーニとともにポンキエルリに師事したが、間も無く中退し、旅まわりの歌劇団に加わってイタリア各地を放浪、この間に多くの歌劇作品に接した。1890年、ソンツォーニ音楽出版社が一幕もの歌劇の懸賞募集を行い、これに応募したマスカーニの作品が第1位に入選した。これヴェルガの小説をもととした歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」だが、この成功は、一夜にして彼の名を世界に広めたばかりでなく、レオンカヴァルロの「道化師」とともに、ヴェリズモ(現実主義)歌劇の流行をもたらした。これは音楽史上にも重要な事件だった。他の13曲の歌劇のうちでは、「友人フリッツ」(1891年)、「イリス」(1898年)などが比較的知られている。1929年にトスカニーニの後任としてスカラ座の指揮者に就任したが、後に、ムッソリーニに協力したかどで、全財産を押収され、不遇のうちに世を去った。

Hugo Wolf

Hugo Wolf 1860.3.13〜1903.2.22 オーストリア

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後期ロマン派の歌曲作曲家、ウィーン音楽院に入学したが校長のヘルメスベルガーと衝突して退学し、あとは独学で音楽の研鑽に励んだ。ウィーンに自作を指揮しに来たワーグナーに面接して強い感化を受け、熱烈なワーグナーの心酔者となり、ブラームスに対しては常に批判的であった。28歳のとき父親が死に、これを機会に自由な作曲生活に入り、わずか3ヶ月の間にメーリケの詩による歌曲53曲を書き上げた。その後創作力はときおり枯渇したが、「アイヒェンドルフ歌曲集」やゲーテの詩につけた51曲など多くの傑作を書いた。彼の歌曲は、ことばの自然な抑揚やアクセントを生かした旋律をつくり、ピアノ伴奏部では詩全体の気分を描き出すという方法をとった。ワーグナーの影響が大きい。

Edward-Elgar

Edward Elgar 1857.6.2〜1934.2.23 イギリス

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イングランド西部の都市ウスター近郊で生まれた。最初、法律を学んだが、楽譜商兼教会オルガニストであった父の後を受けて独学で音楽を修め、これに専念することになった。作曲は15歳のころから始めたが、世に認められたのは遅く、41歳で作曲した「エニグマ変奏曲」(1898年)が最初の成功作であった。ほかに、リヒャルト・シュトラウスから絶賛された「ジェロンティアスの夢」(1900年)、「序奏とアレグロ」(1905年)、「交響曲第1番」(1908年)、「同2番」(1911年)、および晩年の傑作「チェロ協奏曲」(1916年)などが代表的な作品である。彼の音楽は、温和で重厚なため、魅力に乏しいという人もいるが、パーセル以来200年間沈滞していたイギリス音楽界で、近代音楽の礎を築いた功績は、高く評価されなければならない。

Giuseppe Tartini

Giuseppe Tartini 1692.4.8〜1770.2.26 イタリア

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コレルリの流れをくむヴァイオリンの名手で作曲家。最初僧侶になるつもりで大学で神学と文学を修めたが、愛人と駆け落ちしたため僧職を捨て、ヴァイオリニストになった。晩年はパドゥアにヴァイオリン学校を建てて自ら校長となり、各地から集まった生徒を教えながら音楽理論の研究と作曲に励んだ。演奏法の点では新しい弓使いの用法を発明し、トリル奏法に名人技を発揮したといわれる。作曲家としては有名な「悪魔のトリル」で知られるヴァイオリン・ソナタをはじめ、150のヴァイオリンとハープシコードとのためのソナタ、140の合奏協奏曲のほかシンフォニア、室内楽などの作品があるが、ほとんど出版されておらず、演奏の機会もあまりない。

Ruggero Leoncavallo 1858.3.8-1919.8.9 イタリア

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フィレンツェ近くのモンテカティーニに判事の子として生まれた。ナポリ音楽院卒業後、ヴィニーの「チャタートン」のオペラ化を試みたが、興行師に騙されて借金を負い、ヨーロッパ各地を渡り歩いた。その間、尊敬するワーグナーに会い、彼のように台本から音楽まで自分で書く努力を始めた。マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」に刺激されて作った「道化師」は、1892年5月、トスカニーニの指揮で初演されて大成功を収め、彼の名前を一夜で有名にした。しかし、その後の彼の作品はどれも不評で、「ラ・ボエーム」(1897年)と「ツァツァ」(1900年)がやや認められたにすぎない。彼は「道化師」一作だけで、現実主義歌劇の作曲家として、音楽史上に名を残したのである。

Nikolai Andreievich Rimsky-Korsakov 1844.3.18-1908.6.21 ロシア

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“ロシア5人組”のひとり、海軍士官として勤務するかたわら、バラキレフの指導を受けて作曲の勉強をはじめ、21歳のとき「交響曲第1番」を書いて作曲家としてのスタートを切った。1871年の夏、アントン・ルービンシュタインの主宰するペテルブルク音楽院の作曲科教授に招かれ、和声法や対位法の講義を行なうとともに、さらにいっそうの研鑽を積み、国民主義の音楽家の集まりである“5人組”のなかで、最も正統的な作曲技法を身につけた作曲家として成長、グラズノフ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフら多くの優れた作曲家たちを育てた。彼の本領は色彩豊かな管弦楽法を駆使(「近代管弦楽法」の名著もある)した管弦楽曲で、代表作には交響組曲「シェエラザード」、「スペイン奇想曲」、序曲「ロシアの復活祭」などがある。