オーディオファイル イギリス・デッカのステレオ録音最初期の優秀録音・名盤3撰 ショルティ、ライナー、ヤナーチェクSQ

オーディオファイル イギリス・デッカのステレオ録音最初期の優秀録音・名盤3撰 ショルティ、ライナー、ヤナーチェクSQ

デッカのステレオ録音最初期の優秀録音・名盤です。通販レコードのご案内GB DECCA SXL2007 ショルティ レスピーギ:風変わりな店、デュカス:魔法使いの弟子ショルティの指揮する曲は概して大胆さや迫力で押し切る傾向が有りますが、何故かイスラエル・フィルを振るとそこに丁寧さとかつ美しいが加わるから不思議です。例えれば、怒濤のような旋律の中で、ぱっと花が咲くように美しいメロディーが流れる。この点にかけては、ショルティは見逃さず見事に再現している。言い換えればダイナミックレンジが広いとでもいえましょうか、ジョン・カルーショーの意図したものが再現されていると言ってもよいかも知れません。英国デッカ社では、この時期、ショルティと関係良好だったウィーン・フィルと後世に語り継がれるオペラを、ウィーンのソフィエンザール(カルーショーがお気に入りだったリング収録場所)で次々と録音している。その一方でその録音セッション合い間に英国のオーディオファイルに向けて、ロンドン響やイスラエル・フィルと有名管弦楽曲の録音も目論んでいた。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 希少なED1オリジナルです。通販レコードのご案内GB DECCA SXL6093 ヤナーチェク四重奏団 ハイドン:弦楽四重奏曲集「冗談」「セレナード」「五度」弦楽大国のチェコにおいてスメタナ四重奏団と並び立つ、名門ヤナーチェク弦楽四重奏団の高名なデッカ録音盤。チェロの胴鳴りの美しい響きに乗ってゆったりとヴァイオリンがメロディーを乗せていきます。演奏は一級品ですが、なによりその響きが素晴らしい。タイトでダイレクトな響き。主旋律ではないパートの音色の多彩さまでしっかりと伝わるので響きが実に豊かに聴こえます。結果は演奏の印象にも現れ、曲の構成はより緊密となり、骨格ががっしりとした演奏により迫力も素晴らしいものに引き立てています。演奏はどちらかといえばオーソドックスなものですが、音楽は豊か。4人が織り上げる響きの美しさがLP独特のダイレクトな響きによって際立ちます。ビニールの円盤に溝を刻んだだけのLPから、このように迫力あふれる響きが聴かれる。心に刺さる響きが聴かれる。物理特性などではデジタル録音は、LP時代とは段違いのものが実現されていますが、演奏者とエンジニアがコミュニケーションを取ってより良くしようと試行錯誤を尽くしたことで、音楽の完成度はLP時代の方が高かったのではないかと思わざるを得ません。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで レア盤通販レコードのご案内GB LONDON XSDD123 ライナー/ウィーン・フィル ブラームス ハンガリー舞曲/ドヴォルザーク スラブ舞曲ライナーは、RCAにシカゴ交響楽団との多くの名録音を残しましたが、それ以外のオーケストラとの録音をデッカにも残しました。ウィーン・フィルとの集中度の高いこの名演奏は、カルショウのプロデュースにより見事な音響でブラームスは1956年9月、ドヴォルザークは1960年6月いずれも録音場所:ウィーン、ゾフィエンザール。本盤盤質最高で高額なSXL2000番台オリジナルよりオーディオファイル盤みたい。SDDでもラージ溝有はレアです。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで (さらに…)...
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名曲名盤縁起 63歳で世に出た作曲家のピュリッツァー賞受賞曲 アイヴズ〜交響曲第3番《キャンプの集い》より第1楽章

名曲名盤縁起 63歳で世に出た作曲家のピュリッツァー賞受賞曲 アイヴズ〜交響曲第3番《キャンプの集い》より第1楽章

〝日曜作曲家〟アイヴズ没 ― 1954年5月19日 チャールズ・アイヴズというアメリカの、隠れた偉大な作曲家がいる。彼は大きな保険会社の副社長を務めながら、その余暇に実験的な音楽をひっそりと書いた“日曜作曲家”だった。自分の作品が演奏されることを好まず、保険会社を勇退してからは世捨て人のような生活を送ったため、その作品は長く世に出ることがなかった。彼が作曲家として世に出るきっかけになったのは、1947年にピュリッツァー賞を受けたことだった。   受賞の理由となったのは、1904年に書かれたまま楽譜が納屋で眠っていた3番目の交響曲の初演(1946年)だった。この交響曲は3楽章から成り、その第1楽章は「昔馴染みが集まる」と名付けられ、賛美歌風の美しい調べによって、遠くに過ぎ去った友人たちとの日々が回想される。辛辣な批評で知られたハロルド・チャールズ・ショーンバーグは、「アイヴズの音楽は、それ自体がアメリカ音楽史である」と記している。今日は名声を嫌ったアイヴズの命日。 (さらに…)...
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オーディオファイル イギリス・デッカのステレオ録音最初期の優秀録音・名盤3撰 ショルティ、ライナー、ヤナーチェクSQ

オーディオファイル イギリス・デッカのステレオ録音最初期の優秀録音・名盤3撰 ショルティ、ライナー、ヤナーチェクSQ

デッカのステレオ録音最初期の優秀録音・名盤です。通販レコードのご案内GB DECCA ECS703 ショルティ/パリ音楽院管弦楽団 イスラエル・フィル チャイコフスキー 交響曲第2番「小ロシア」 デュカス:魔法使いの弟子「リング」でその名前が一躍グローバルになる直前、1950年代のショルティを代表する名演。ショルティとカルーショーの結びつきは、一般にはワーグナー「ニーベルングの指輪」全曲録音の偉業を成し遂げた二人、という側面でよく知られている。だが実際にはそれだけではなく、カルーショーはショルティについて『ヴィクター・オロフとの最初の一枚以外は、何か理由があったり多忙だったりしたときを除いて、すべて私が彼と一緒に仕事をしていた』と述べている。以後、デッカ時代におけるショルティとの最後の仕事とされるヴェルディ「レクイエム」を制作した1967年10月まで、カルーショーとショルティの長い関係が続いた。  1950年代にデッカはパリ音楽院管とよく仕事をしており、モントゥー、マルティノン、ヴォルフらがフランスものやロシアもののレパートリーを録音していた。「小ロシア」の録音はパリのラ・メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテで響きは多くなく直接音が入っている。同時期に5番も録音されている。ショルティがこの曲を録音しようとした時、リハーサルと本番で主席奏者が入れ替わったり、兵役で4人の奏者が交代したりとトラブルはあったが、この時期ならではの若々しいショルティの息吹がグイグイと伝わって来る快演です。「小ロシア」は、チャイコフスキーの後期交響曲以外ではよく録音されていた。  チャイコフスキーの生きた19世紀は民族主義運動の勃興の時代。オーストリアの音楽家が毎年訪れていた音楽界、我が国ロシアこそと、音楽芸術の世界では民族主義的な音楽が持て囃されていたのでした。若いチャイコフスキーが数々のウクライナ民謡を単に引用するのではなく、交響曲の骨子となる全曲の主題として採用したことに、これからの音楽のあり方を模索していた五人組の新進作曲家たち ― バラキレフ、ボロディンやリムスキー=コルサコフなども絶賛した、この交響曲第2番は、作曲家ではなく当時活躍していた評論家によって「小ロシア」というニックネームが与えられている。大変にウクライナ色の強い交響曲ということで「小ロシア」というタイトルなのですが、ウクライナ国に対する蔑称的色合いがあるとのことで近時は「ウクライナ」と記載することが多くなっている。  この曲の文脈においては、「小ロシア」という言葉には、純粋にロシアの親戚のような国という意味でしかありません。有名な後期三大交響曲に知名度においては遠く及びませんが、西欧音楽理論の粋である、優れた管弦楽法をマスターしていた作曲家チャイコフスキーの交響曲、両端楽章にあらわれるロシア臭たっぷりのメロディーに惹かれる。管楽器が大活躍の耳へのご馳走様。メロディたっぷりの楽しい音楽。ウクライナ系3代目ロシア人チャイコフスキーの作曲。三つの実在のウクライナ民謡が取り込まれている、全曲に祖父の国への親愛の情に溢れています。全曲民謡風の親しみやすい歌えるメロディの宝庫なのです。フィナーレはウクライナ民謡「鶴」を主題として展開してゆく大いなる交響楽章。金管楽器の派手な響きや管楽器の妙などが曲を支配していて、いわゆる深みがない分だけ、純粋な音楽的愉悦を味わえる音楽です。ショルティ盤では他では絶対に聴けないような歌い回しに酔いしれました。英国デッカ社では、この時期、ショルティと関係良好だったウィーン・フィルと後世に語り継がれるオペラを、ウィーンのソフィエンザール(カルーショーがお気に入りだったリング収録場所)で次々と録音している。その一方でその録音セッション合い間に英国のオーディオファイルに向けて、ロンドン響やイスラエル・フィルと有名管弦楽曲の録音も目論んでいた。1957年にデッカはイスラエル・フィルとの録音を開始し、その最初がショルティ指揮のセッションだった。テル・アヴィヴから車で45分もかかるリション・ル・ジオン村にある映画館で録音された。ショルティの指揮する曲は概して大胆さや迫力で押し切る傾向が有りますが、何故かイスラエル・フィルを振るとそこに丁寧さとかつ美しいが加わるから不思議です。例えれば、怒濤のような旋律の中で、ぱっと花が咲くように美しいメロディーが流れる。この点にかけては、ショルティは見逃さず見事に再現している。言い換えればダイナミックレンジが広いとでもいえましょうか、ジョン・カルーショーの意図したものが再現されていると言ってもよいかも知れません。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 希少なED1オリジナルです。通販レコードのご案内GB DECCA SXL6093 ヤナーチェク四重奏団 ハイドン:弦楽四重奏曲集「冗談」「セレナード」「五度」弦楽大国のチェコにおいてスメタナ四重奏団と並び立つ、名門ヤナーチェク弦楽四重奏団の高名なデッカ録音盤。チェロの胴鳴りの美しい響きに乗ってゆったりとヴァイオリンがメロディーを乗せていきます。演奏は一級品ですが、なによりその響きが素晴らしい。タイトでダイレクトな響き。主旋律ではないパートの音色の多彩さまでしっかりと伝わるので響きが実に豊かに聴こえます。結果は演奏の印象にも現れ、曲の構成はより緊密となり、骨格ががっしりとした演奏により迫力も素晴らしいものに引き立てています。演奏はどちらかといえばオーソドックスなものですが、音楽は豊か。4人が織り上げる響きの美しさがLP独特のダイレクトな響きによって際立ちます。ビニールの円盤に溝を刻んだだけのLPから、このように迫力あふれる響きが聴かれる。心に刺さる響きが聴かれる。物理特性などではデジタル録音は、LP時代とは段違いのものが実現されていますが、演奏者とエンジニアがコミュニケーションを取ってより良くしようと試行錯誤を尽くしたことで、音楽の完成度はLP時代の方が高かったのではないかと思わざるを得ません。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 一発取りをしたとしか思えない怒濤の極み通販レコードのご案内GB LONDON STS15009 ライナー/ウィーン・フィル ブラームス ハンガリー舞曲/ドヴォルザーク スラブ舞曲1954年は、まだステレオは実験段階だったと思うが、当時の先進企業米国RCAは、いち早くステレオ技術を取り入れ、見事な録音を行っていたのである。其の代表作が、偉大なRCAステレオ録音第一号盤、LSC1806の「ツァラトゥストラはかく語りき」だったのではなかろうか。その成功を強かな英デッカ社が静観している訳がありません。戦後の混乱に乗じてウィーン・フィルの版権を格安で入手したデッカ社は、当時のステレオ再生技術で最先端を行く米RCA社に業務提携申し入れた。斯くして実現したRCAの看板指揮者フリッツ・ライナーと自社のウィーン・フィルとの偉大な融合が本盤。ライナーは、RCAにシカゴ交響楽団との多くの名録音を残しましたが、それ以外のオーケストラとの録音をデッカにも残しました。ウィーン・フィルとの集中度の高いこの名演奏は、カルショウのプロデュースにより見事な音響でブラームスは1956年9月、ドヴォルザークは1960年6月いずれも録音場所:ウィーン、ゾフィエンザール。RCAの看板指揮者フリッツ・ライナーと自社のウィーン・フィルとの偉大な融合が本盤。ウィーンでのセッションですから、カルーショー中心にデッカチームが担当。生の音とはやや趣を異にするとはいえ、FFSSにさらにRCAの先端技術が加わりさらに磨きがかかりすごい。本盤も、ソフィエンザールでのスタジオ録音とはとても思えない熱気を孕んでいる。一発取りをしたとしか思えない怒濤の極みです。制作陣は、デッカのエリック・スミスとジェームス・ブラウン。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで (さらに…)...
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20世紀で最も美しいピアノ*ロベール・カサドシュ フランスらしい気品を持ち合わせながらも己に酔うことなくスタイリッシュ

20世紀で最も美しいピアノ*ロベール・カサドシュ フランスらしい気品を持ち合わせながらも己に酔うことなくスタイリッシュ

Robert Casadesus 1899.4.7-1972.9.19フランスのピアニスト、ロベール・カサドシュが没した日(1972年9月19日)。フランスらしい気品を持ち合わせながらもその演奏は、己に酔うことなくスタイリッシュなのが特徴である。ドビュッシーやラヴェルはもちろん、モーツァルトも得意とし、他にも厳格なドイツものにも造詣が深かった。音楽一家に生まれ、甥のジャン=クロードは指揮者であり、その孫であるトーマス・エンコは現在ジャズピアニストとして活躍している。 通販レコードのご案内DE CBS 77346 カサドシュ ラヴェル・ピアノ曲全集 カサドシュは既に定評の有るモーツァルトとラヴェルを最も重要なジャンルの作品に据えていたのではと思いたくなるレコード。清楚で淡々と演奏していて、常にスタイリッシュです。いわゆる、ソリストとしては絶対に必要な「俺が俺が」と言って前面に出ていく強さがほとんど感じられない、最初から最後までカサドシュの美学の中で事は進んでいくように思えます。 カサドシュは些細な事に拘らない美学が見え隠れする名演を、“20世紀で最も美しいピアノの音色”で常に聴かせます。 Maurice Ravel - Robert Casadesus ‎– Piano Music of Ravel第1集 ABL.3012亡き王女のためのパヴァーヌシャブリエ風にボロディン風に鏡第2集 ABL.3046組曲「マ・メール・ロワ」ハバネラ水の戯れ夜のガスパール第3集 ABL.3062組曲「クープランの墓」高雅で感傷的なワルツ前奏曲ハイドンの名によるメヌエット「ドビュッシーの音楽はショパンから派生し、ラヴェルの音楽はリストから派生する」とは、カサドシュのインタヴューに応えた言葉が由来です。 カサドシュの録音は登場時から、その客観性をいわれ演奏の古典となったものでしたが、特質はフランス的なもの。全体に快速なテンポで軽いタッチで弾き流しており、最近の演奏家が陥りがちな印象派風なべとべとした演奏とは一線を画します。組曲「クープランの墓」でのクラヴサンの音楽の伝統が連綿と綴る音のアラベスクは、緻密に向かう性向があるカサドシュに合っている。緻密、端正というだけでは割り切れない作品の多層があるのです。典雅な香りや、知的なのにどこか遊び、ペーソスをもっていても嫌味にならない。古典的たたずまいが典雅と両立しているものは非常に稀なことです。  作曲者と親交のあったカサドシュだけに、そこに込められた豊かなニュアンスには強い説得力があり、美しい音色がとても魅力的です。カサドシュのレパートリーは決して広くなく、むしろ適した曲目はきわめて限られたものでした。そのレパートリーにはドイツ音楽も多く、まさに形から入るラヴェルに適性を示します。LP 期、多くのものが再録を行ってきましたが、ラヴェルの独奏曲は時間的にも体力的にも余力があったにも関わらず、このモノラルの録音のみです。つまりはそれだけ、当録音が高い精度を達成していたということでしょう。音質はモノラルとしては最上の部類で鑑賞には支障ありません。ステレオ録音盤はありません。 【ロベール・カサドシュのプロフィール】1899年パリに生れたカサドシュ(Robert Casadesus, 1899年4月7日〜1972年9月19日)は1922年からラヴェルと共同でピアノロールの録音を行い、欧州各地でラヴェルと共演した経歴を持つ。大戦中アメリカへ亡命した事もあって、米 Columbia に多くの録音を残した、これも米録音。彼の抑制の効いた古典的様式は彼の後、続く者が現れなかった。M.アース、C.エルフェ等を輩出。仏ピアノ界の重鎮的存在。一聴は大人しいが、その美しさは絵画的。指の回るピアニストは多くなったものの、カザドシュのように知的で香りたつような洗練された感性をもつピアニストはまったく少なくなってしまった。 オーダーはリンク先の詳細掲載ページで品番 / 34-22215販売価格6,600円(税込) (さらに…)...
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名曲名盤縁起 故郷への万感の思いを河の流れに託した名曲 スメタナ〜連作交響詩《我が祖国》より「モルダウ」

名曲名盤縁起 故郷への万感の思いを河の流れに託した名曲 スメタナ〜連作交響詩《我が祖国》より「モルダウ」

チェコ音楽の父スメタナ没 ― 1884年5月12日 大国の強権に脅かされてきた小国には、「英雄的」と評される音楽家が出現して、大きな役割を果たすことが多い。19世紀半ば以降の民族自立の風潮にあっては、ノルウェーにグリーグ、フィンランドにシベリウス、スペインにファリャなどが登場した。チェコの場合は、ベドルジハ・スメタナである。  スメタナの命日には、チェコ国民が今も最も愛する《我が祖国》を聴こう。題名からして愛国的な音楽は、スメタナが聴覚を全く失い、過去の栄光とはかけ離れた困窮生活を送っていた1879年に書かれた6曲からなる連作交響詩で、いずれもチェコの自然と人々を愛した彼が万感の思いを託した標題音楽の傑作である。第2次世界大戦後に、彼の命日に開始される「プラハの春音楽祭」では、その開幕を飾る栄誉を担っている。《モルダウ》は、その第2曲。ボヘミアを南北に流れるヴルタヴァ河(ドイツ語ではモルダウ)の流れゆく様が、周囲の風景とともに描かれる。実に見事な祖国賛歌だ。 ボヘミアの川よ モルダウよ 過ぎし日のごと 今もなお 水清く青き モルダウよ わが故郷を 流れ行く 若人さざめく その岸辺 緑濃き丘に 年ふりし 古城は 立ち 若き群れを 守りたり ボヘミアの川よ モルダウよ わが故郷を 流れ行く ボヘミアの川よ モルダウよ 過ぎし日のごと 今もなお 水清く青き モルダウよ わが故郷を 流れ行く 若人さざめく その岸辺 緑濃き丘に 年ふりし 古城は 立ち 若き群れを 守りたり やさしき流れ モルダウよ 光り満ち わが心にも 常に響き 永久(とわ)の平和を なれは歌(うと)う たたえよ 故郷の流れ モルダウ 日本でもよく歌われる雄大なふるさと賛歌 チェコの作曲家スメタナの連作交響詩「我が祖国』全6曲中の一曲。この連作交響詩では祖国の自然や風景、伝説が題材となっている。6曲中最も有名なのが、この交響詩《モルダウ》で、モルダウ川(ヴルタヴァ川)が源流から川幅を広げ大河となってプラハの街に流れ込む情景が、オーケストラによって巧みに表現されている。冒頭のフルートとクラリネットは、モルダウ川の2つの水源が合流する様子を描いている。これに続き雄大なモルダウの主題が現れる。  このメロディはもともと古い民謡から採られたといわれる。イスラエル国家「ハティクバ」はこの曲を素材としているし、日本では歌詞をつけて合唱曲としてもよく歌われる。さだまさしの『男は大きな河になれ』もこの曲に歌詞をつけた曲。(1874作曲) (さらに…)...
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名曲名盤縁起 ウィーン・フィルを誕生させたニコライの人気作 ニコライ〜歌劇《ウィンザーの陽気な女房たち》序曲

名曲名盤縁起 ウィーン・フィルを誕生させたニコライの人気作 ニコライ〜歌劇《ウィンザーの陽気な女房たち》序曲

ウィーン宮廷楽長ニコライの命日 ― 1849年5月11日 ドイツのロマン派オペラの歴史を飾る作曲家・指揮者オットー・ニコライが、39歳を前にベルリンで夭逝した日。職業音楽家の父の跡を継ぐように強制されたニコライは、16歳で放浪の旅に出る。23歳でローマに赴き、イタリア伝統の教会音楽やオペラの作曲法を身に付けた後、ウィーンの宮廷に仕える音楽家になり、31歳で宮廷楽長にまで上り詰める。その時、ニコライは現代の私たちに至福の喜びを与えてくれるものを組織した。ウィーン・フィルハーモニー協会、つまりウィーン・フィルを生み出してくれたのである。  作曲家ニコライの最高傑作が、亡くなる前年、シェイクスピアの戯曲を題材にして書いた歌劇《ウィンザーの陽気な女房たち》だ。ドイツ以外の国での上演は稀だが、その序曲はとても人気が高い。ロマン派オペラらしい優美な序奏の後、軽やかで流麗な2つの主題によって、いかにもイタリア風のブッファにふさわしい、活き活きとして爽快な音楽だ。 (さらに…)...
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「ホロヴィッツ事件」の日 ひびの入った骨董品

「ホロヴィッツ事件」の日 ひびの入った骨董品

(これは5月27日に書いています。)週末から九州南部は梅雨入りしました。五月半ばから0度を超える夏日になる日もありますが、体感的に熱いと感じないので、家の中を空気が通っているのがはっきり感じるからか。窓は開けていないのに、隙間ができているのかしら。 日本の音楽批評の最高峰のお一人、吉田秀和さんが亡くなられてから、もう6年(2012年(平成24年)5月22日)。享年98歳だと改めて認識して、驚いた次第です。 没されてからも残されていた原稿を元にNHK-FM「名曲の楽しみ」は放送が続いていましたが、すっかりタイムテーブルも変わってしまった。これからも放送が続いていたのなら、音楽解説番組の最高齢となる事でしょう。指揮者ストコフスキーが95歳だったことを思えば、世界記録ではあるのでは無いかしら。と期待もしたことが懐かしい。 「ホロヴィッツ事件」というのが歴史にある。1983年6月11日は、ホロヴィッツが初来日してピアノ演奏を実際に日本の聴衆の前で行った日。 時代はバブル景気。ピアノ・ソロの演奏会では最高金額でした。その金額でホロヴィッツが動かされたと言われても仕方の無いことでしたが、『ひびの入った骨董品』と来日演奏を批評したのが、吉田秀和さんでした。それは若い時に来日して貰って、実際の演奏に接したかった。と言う吉田さんの正直な夢だったのですが、音楽批評雑誌の見出しだけが躍ってしまった感じです。  来日の演奏会は、その一週間後にテレビ放映され多くの関心を呼びました。口さがない人は『ボロヴィッツ』などとあざけったものです。初めてそのときにホロヴィッツという名前の老ピアニストの演奏を聴いた人は多かったことでしょう。誰かが、奇跡のピアニストを連呼していたら印象は変わっていたかも知れません。 (さらに…)...
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おしゃれクラシック/甘美と哀愁の狭間で〜ハート・オブ・チャイコフスキー イギリス・デッカの優秀録音

おしゃれクラシック/甘美と哀愁の狭間で〜ハート・オブ・チャイコフスキー イギリス・デッカの優秀録音

子どもたちがクラシック音楽に親しみ、知識とし喜びを見出すことを楽しみとした、カマラータの確かな演奏による充実作で夢見心地の素晴らしさ。通販レコードのご案内《英プレス、Phase4》GB DECCA PFS4140 カマラータ/キングズウェイ交響楽団 THE HEART OF TCHAIKOVSKY トゥッティ・カマラータ(Tutti Camarata)はベニー・グッドマン、ルイ・アームストロング、ビング・クロスビー、ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、デューク・エリントンらとの共演。トミー&ジミー・ドーシー楽団やベニー・グッドマン楽団のリード・トランペッターとして活躍し、ジミー・ドーシー楽団のヒット曲を作曲したことに始まり、同時に作編曲家としても活動の幅を広げた、ジャズの時代を築いてきた人物の一人です。1940年代中盤以降は、映画音楽など裏方として活動。  近年ではアレサ・フランクリン、リンゴ・スター、バリー・マニロウ、ジェネシス、ヴァン・ヘイレンといった多彩なミュージシャンのアルバム制作に関わっている。  彼は子どもたちがクラシック音楽に親しみ、知識とし喜びを見出すことを楽しみとし、ディズニーランドレコードで300枚のアルバムを制作した。ハリウッドでの音楽貢献は計り知れない。  NHKのラジオ深夜便などで聴く機会も少なくない、どの曲もラジオ放送向けに仕立てなおしている。CDが発売され始めた頃には、作曲家(リムスキー=コルサコフ、ボロディン、ラフマニノフ、プッチーニ、ヴェルディ、ビゼー、サン=サーンス、ラヴェル、サティ、ガーシュウィン、ヨハン・シュトラウス、バッハ)それぞれのエキゾチックな名曲をコンパクトにアレンジ、まとめたシリーズは喫茶店やレストラン、ホテルのフロントでのBGMとして評判でした。 「THE HEART OF TCHAIKOVSKY」は、甘美と哀愁の極まれるチャイコフスキーの楽曲をジャズやポップス、イージーリスニングにと彩る1枚。キングズウェイ交響楽団は、クレジットは無いが名手を揃えた、録音のための臨時編成オーケストラ。確かな演奏による充実作で夢見心地の素晴らしさ。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 他では絶対に聴けないような歌い回しに酔いしれた。通販レコードのご案内GB DECCA ECS703 ショルティ/パリ音楽院管弦楽団 イスラエル・フィル チャイコフスキー 交響曲第2番「小ロシア」 デュカス:魔法使いの弟子「リング」でその名前が一躍グローバルになる直前、1950年代のショルティを代表する名演。ショルティとカルーショーの結びつきは、一般にはワーグナー「ニーベルングの指輪」全曲録音の偉業を成し遂げた二人、という側面でよく知られている。だが実際にはそれだけではなく、カルーショーはショルティについて『ヴィクター・オロフとの最初の一枚以外は、何か理由があったり多忙だったりしたときを除いて、すべて私が彼と一緒に仕事をしていた』と述べている。以後、デッカ時代におけるショルティとの最後の仕事とされるヴェルディ「レクイエム」を制作した1967年10月まで、カルーショーとショルティの長い関係が続いた。  1950年代にデッカはパリ音楽院管とよく仕事をしており、モントゥー、マルティノン、ヴォルフらがフランスものやロシアもののレパートリーを録音していた。「小ロシア」の録音はパリのラ・メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテで響きは多くなく直接音が入っている。同時期に5番も録音されている。ショルティがこの曲を録音しようとした時、リハーサルと本番で主席奏者が入れ替わったり、兵役で4人の奏者が交代したりとトラブルはあったが、この時期ならではの若々しいショルティの息吹がグイグイと伝わって来る快演です。「小ロシア」は、チャイコフスキーの後期交響曲以外ではよく録音されていた。  チャイコフスキーの生きた19世紀は民族主義運動の勃興の時代。オーストリアの音楽家が毎年訪れていた音楽界、我が国ロシアこそと、音楽芸術の世界では民族主義的な音楽が持て囃されていたのでした。若いチャイコフスキーが数々のウクライナ民謡を単に引用するのではなく、交響曲の骨子となる全曲の主題として採用したことに、これからの音楽のあり方を模索していた五人組の新進作曲家たち ― バラキレフ、ボロディンやリムスキー=コルサコフなども絶賛した、この交響曲第2番は、作曲家ではなく当時活躍していた評論家によって「小ロシア」というニックネームが与えられている。大変にウクライナ色の強い交響曲ということで「小ロシア」というタイトルなのですが、ウクライナ国に対する蔑称的色合いがあるとのことで近時は「ウクライナ」と記載することが多くなっている。  この曲の文脈においては、「小ロシア」という言葉には、純粋にロシアの親戚のような国という意味でしかありません。有名な後期三大交響曲に知名度においては遠く及びませんが、西欧音楽理論の粋である、優れた管弦楽法をマスターしていた作曲家チャイコフスキーの交響曲、両端楽章にあらわれるロシア臭たっぷりのメロディーに惹かれる。管楽器が大活躍の耳へのご馳走様。メロディたっぷりの楽しい音楽。ウクライナ系3代目ロシア人チャイコフスキーの作曲。三つの実在のウクライナ民謡が取り込まれている、全曲に祖父の国への親愛の情に溢れています。全曲民謡風の親しみやすい歌えるメロディの宝庫なのです。フィナーレはウクライナ民謡「鶴」を主題として展開してゆく大いなる交響楽章。金管楽器の派手な響きや管楽器の妙などが曲を支配していて、いわゆる深みがない分だけ、純粋な音楽的愉悦を味わえる音楽です。ショルティ盤では他では絶対に聴けないような歌い回しに酔いしれました。英国デッカ社では、この時期、ショルティと関係良好だったウィーン・フィルと後世に語り継がれるオペラを、ウィーンのソフィエンザール(カルーショーがお気に入りだったリング収録場所)で次々と録音している。その一方でその録音セッション合い間に英国のオーディオファイルに向けて、ロンドン響やイスラエル・フィルと有名管弦楽曲の録音も目論んでいた。1957年にデッカはイスラエル・フィルとの録音を開始し、その最初がショルティ指揮のセッションだった。テル・アヴィヴから車で45分もかかるリション・ル・ジオン村にある映画館で録音された。ショルティの指揮する曲は概して大胆さや迫力で押し切る傾向が有りますが、何故かイスラエル・フィルを振るとそこに丁寧さとかつ美しいが加わるから不思議です。例えれば、怒濤のような旋律の中で、ぱっと花が咲くように美しいメロディーが流れる。この点にかけては、ショルティは見逃さず見事に再現している。言い換えればダイナミックレンジが広いとでもいえましょうか、ジョン・カルーショーの意図したものが再現されていると言ってもよいかも知れません。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで ブルガリアの名歌手、ギャウロフが歌ったロシア語による歌を収めたアルバムです。通販レコードのご案内GB DECCA SXL6530 ニコライ・ギャウロフ ロシア歌曲集ブルガリア山間部の温泉地、ヴェリングラトの生んだ20世紀を代表するバス歌手の一人、ニコライ・ギャウロフ(1929-2004)は、幼少時にはピアノ、ヴァイオリン、クラリネットを習っていましたが、20歳から声楽に転向、ブルガリア国立音楽院で1年間勉強し、その後はモスクワ音楽院で1955年までの5年間学んで実力をつけます。  ギャウロフが注目を集めるのは1955年のパリ国際音楽コンクールでの優勝がきっかけで、すぐにプロとしてのキャリアをスタート、スカラ座やウィーン、コヴェントガーデン、ボリショイ劇場などにも出演するようになります。  ブルガリアはソ連とは同じスラヴ系言語ということで緊密な関係にあり、ギャウロフも声楽の本格的な勉強はモスクワで長期間おこなうなど、ロシア語作品は最重要なレパートリーとして積極的に取り組んでいました。1960~1970年代の脂ののった艶のある声は、ロシア・オペラには無くてはならない役にはまった歌唱なのです。ロシアの叙事詩を歌った歌曲や民謡なども、ドラマティックな特性が的確なバランスで歌われた名唱です。戦後最大のバス歌手と称される、名声を確立した1970年代に入って録音された歌曲アルバム。ギャウロフの最初の妻でピアニスト、息子の指揮者ヴラディーミルの生みの母でもあるズラティーナ・ミシャコワの伴奏で1971年にデッカでセッション録音したアルバム「ロシア歌曲集」。チャイコフスキーの「ドン・ファンのセレナード」では、ドン・ジョヴァンニ役でも高評価のギャウロフらしい粋な歌を聴かせます。 2020年に生誕180周年を迎えたピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~1893年)の音楽は、私たちの心に寄り添う音楽。時に甘く、時に悲しく、深く、語りかけるその音楽は、子どもから大人まで聴く者の心をとらえて離しません。チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」ほど色彩豊かなドラマを感じて弾ける曲はないと思います。出だしから自分が主人公になった気分で興奮したり、感動したり、嘆いたり、チャイコフスキーのメロディの中にはポエムがあります。日本の歌にも寂しげな懐かしさがあるので、私たち日本人も強く共感できるのかもしれません。  そして、愛の喜びと悲しみ、人間の運命との闘い、信教上の心の動きなど。チャイコフスキーは、難解なロシアの民謡・文化をベースにしながらも、その上で色々なテーマを万国共通に分かりやすく曲にできる人でした。 幅広くヨーロッパの文化を受けとり、自国だけではなく、世界中で芸術活動をし、それでいて本当にロシア人が理想とするロシア人のような人でした。あの時代、自分の感情を自由に表すことは社会的に無理でした。苦しいところ、気をつけないといけないところが沢山あったので、表には出さず、自分の心の動きを見つめていたのではないでしょうか。子供の頃から文学好きの愛国者で、ロシアの歴史や文化、民族音楽を深く理解していただけでなく、全世界にも強く興味を持ち、数ヵ国語を話すことができました。  特にチャイコフスキーの歌曲からそんな背景が見えてきます。少しずつ自分の苦しい気持ちを語りだされる「ただ憧れを知る者のみが」ですが、次第に我慢出来なくなって、ずっと抑えられていたパッションや絶望が噴火してしまいますが、再び自分の内の世界に戻って平明な歌になる。日本人にも文化的に通じるところがあるように感じています。チャイコフスキーの音楽は日本でも大変人気があります。ロシアの自然、生活感から生み出される深い憂愁、甘美さ、烈しさにみなぎっているメロディーはドラマティックでチャイコフスキーの作品本来の魅力をたっぷり味わうことができます。 Side-1チャイコフスキー:Nyet, tolko tot, kto znal(6つのロマンス Op.6 第6番 ただ憧れを知る者のみが)チャイコフスキー:Ni slova o drug moy(6つのロマンス Op.6 第2番 語るな、友よ)チャイコフスキー:Serenada Don-Zhuana(6つのロマンス Op.38 第1番 ドン・ファンのセレナーデ)チャイコフスキー:To bylo ranneyu vesnoi(6つのロマンス Op.38 第2番 それは早春のことだった)チャイコフスキー:Sryed shumnovo bala(騒がしい舞踏会の中で)チャイコフスキー:Blagoslavlyayu vas, lesa(森よ、私は祝福する)Side-2ボロディン:Dlya beregov otschizni dal'noi(For the Shores of Your Distant Homeland 遠い祖国の岸へ)グリンカ:Nochnoy smotr(The Night Review 真夜中の閲兵)ルビンシテイン:Melodya(メロディー)ダルゴムイシスキー:Chervyak(虫けら)ダルゴムイシスキー:Nochnoi defir stroont efir(夜のそよ風が穏やかに漂う)ダルゴムイシスキー:Starij Kapral(老伍長)  東欧ブルガリアからは、最も低い男声バスの名歌手が輩出されている。ボリス・クリストフ、ニコライ・ギュゼレフ、そして2004年に他界したニコライ・ギャウロフである。まさに〝バスの王国〟である。ギャウロフが育った家庭は貧しく、買ってもらえた楽器はハーモニカだったという。しかし彼には、神様から与えられた美声があった。  第二次大戦に向かっていく時代の小国の貧しい寒村の出身で大戦後も共産圏の国家でしたから、若い頃はたいそう苦労したそうです。そうしたなかでもヴァイオリンやピアノ、それにクラリネットを学びます。あるとき彼はオーケストラで合唱や独唱者のついた大規模な曲の指揮を振ることになりました。ところがこの独唱者がへっぽこで何度言っても彼の言うとおりに歌ってくれません。いい加減頭にきた彼は「いいか!こうやって歌うんだ!」と独唱者の代わりにオーケストラに合わせて歌ってやりました。すると合唱もオケもみんな呆然としてしまいました。訝る彼に独唱者は言いました。「君が歌うべきだよ」それほど彼の歌が素晴らしかったのです。  しかもその素晴らしい声に加えて、彼はどんな役にも存在感を与えるだけの卓越した表現力を兼ね備えています。1950年代の終わり頃から国際的な活動を始めたギャウロフの歌には、〝バスの帝国〟ロシアの歌手たちの力任せの歌唱とは一味違って、知的な洗練が施されていた。1971年、ウィーン、ゾフィエンザール録音。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで スタンリー・ブラックの「大いなるロシア!」通販レコードのご案内GB DECCA PFS4084 スタンリー・ブラック ロンドン祝祭管弦楽団 ロシア曲集フェイズ4の華やかな録音が世界各国の美しいメロディーをさがしました。楽しいお国めぐり、今回は……ロシアには人の心の琴線に触れる音楽の雄大な土壌があることを実感する貴重なアルバムだ。1960/70年代に君臨したムード・ミュージックの雄、スタンリー・ブラック。ロシアものともなれば極めつけ。ロシア民謡をはじめとするお馴染みの旋律が雄大なサウンドに変身。こういう徹底して真剣にドラマティックな造り方は、今となっては生れ得ない貴重なもの。とくに東西という枠組がなくなりつつある現在では。子供の頃からロシア民謡は大好きだった。世界の民謡の中で傑出しているのはロシアとイタリアだと思う。もちろん民謡だから人の声で聴くのが一番心に訴えかけてくるのだけれど、器楽の演奏にも素晴しいものがある。スタンリー・ブラックの「大いなるロシア!」は、1966年にLONDONのphase 4 stereoシリーズとして録音されたものだ。 この録音で用いられた《Phase 4 Stereo》はDeccaが1960年代初頭、他社に先駆けて導入した20チャンネル・マルチトラック収録。メカ好きで有名だったストコフスキーはポピュラーやイージー・リスニングの分野で採用されはじめていたPhase 4 Stereo(フェイズ・フォー・ステレオ)方式を自身の録音に応用しようと提案。そのため、レコーディング・スタッフもDeccaの通常のクラシック収録とは違う、専門チームが当たったといいます。 Side-1メドウランド二つのギターモスコーの夜は更けてバラライカでSide-2剣の舞黒い瞳トレパークヴォルカの舟歌バーバヤガーの小屋〜キエフの大きな門 スタンリー・ブラックの胸のすくアレンジでマンモス級のスケールの大きなロシア民謡が展開される。オーケストラ・合唱はロンドン・フェスティヴァル管弦楽団・合唱団。 冒頭は「メドウランド」、これはポーリュシカ・ポーレ(美しき草原)をアレンジしたもので、ロシアの大草原を彷彿とさせるダイナミックな演奏。 「二つのギター」は哀愁にあふれた美しい曲。 「モスコーの夜は更けて」はダーク・ダックスが日本に紹介して日本人の心を虜にした曲で、ここでは合唱団のバスが効いた重厚な演奏。 「バラライカで」はタンゴのリズムでバラライカとストリングスが甘いメロディーを奏でる。 「剣の舞」は打楽器と金管が大活躍し、迫力満点。 良く知られた「黒い瞳」は情熱的な黒い瞳を持ったジプシー娘を歌った美しい曲。このアレンジは最高だ。ふとした時に、私はよく、この演奏が心に浮かんできて、口ずさんでしまう。 「トレパーク」はチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の中の「道化の踊り」。 「ヴォルガの舟歌」はロシア民謡の中で一番初めに好きになった曲。暗い歴史を持つ労働歌だが、重労働である舟曳きに、この歌を歌って耐えたロシアの民衆の心が伝わってくる気がする。 最後の「バーバ・ヤガーの小屋~キエフの大門」はムソルグスキーの「展覧会の絵」の最後の2曲。ラヴェルの編曲をスタンリー・ブラック風に更にダイナミックに仕上げてアルバムを締めくくる。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで ロシアの原曲が光るアルバムです。通販レコードのご案内JP LONDON L25C-3033 ショルティ シカゴ交響楽団 ムソルグスキー・展覧会の絵/ラヴェル・クープランの墓ショルティはオーケストラを支える名手を上手に登用しながら最高水準の音楽を作り上げていきます。アンサンブルの緻密さは言うまでもなく、ソロ楽器の巧みさ、ダイナミックな力感、どれをとっても最高レベルの内容。シカゴ交響楽団メンバーの名人芸が光る作品です。20世紀におけるオーケストラ演奏の粋がここにあります。ムソルグスキーの独創的なピアノ作品をラヴェルが華麗にオーケストレーションした『展覧会の絵』。20世紀におけるオーケストラ演奏の粋がここにあります。迫力満点のオーケストラの醍醐味がたっぷりと味わえる一枚。1980年録音の本盤演奏はロシア指揮者による土俗っぽいものではなく、かと言って洒落たものでもないけれど、ショルティの研ぎ澄まされたバランス感覚とヴィルトゥオーソ集団のシカゴ響による完璧なアンサンブルにより、重量感と透明感が同居した圧倒的な演奏です。1980年5月5-8日シカゴ、メディナ・テンプル録音。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで (さらに…)...
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ブルックナー・ファン必聴のケンペ チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 交響曲8番 2種

ブルックナー・ファン必聴のケンペ チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 交響曲8番 2種

ブルックナー・ファン、ケンペ・ファン、必聴の名盤。通販レコードのご案内CH exlibris EL16 607 ルドルフ・ケンペ チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 ブルックナー:交響曲8番ケンペらしい、ドイツらしい引き締まって美しい弦の響きと、意外に豪快な金管の組み合わせが絶妙な名演。スイスの高級レコード頒布会社Ex Librisから1973年に発売され、録音の優秀さでも話題となりました。権利関係が複雑なためか2000年代までCD化されず、幻の名演としてマニアの間で再発が待望された名盤のオリジナル盤です。1971年11月12・13日チューリッヒ、トーンハレ録音。日本ではLP2枚組としてケンペが亡くなる直前の1975年に発売され、その解説を担当した評論家宇野功芳が「極めてユニークで内省的な演奏」と紹介しました。評判のクナッパーツブッシュや朝比奈、後年話題になったヴァントと聴き比べても、ケンペ盤は同じようなアプローチのようでいて、宗教性とか、虚心坦懐に音楽と向き合うとか、そういう言葉では括れない態度を感じます。ケンペは言うさがすべきではない。めぐり合うべきである。さがすということは、意識的な小細工を意味する。めぐり合うのは、作曲者とその音楽に対する献身の結果である。〝内省的〟とは、神に畏怖しながらも、萎縮することなく対峙しているケンペの裸の心を評言している。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 録音の優秀さでも話題となったレコードの4チャンネル版。通販レコードのご案内CH TUDOR 74003/04 ルドルフ・ケンペ ブルックナー:交響曲8番この盤はケンペが亡くなくなる直前にTUDORレーベルから発売された、Ⓟ1974盤。オリジナルのEx Libris盤は、Ⓟ1973。この録音は70年代前半に登場した4チャンネル再生システム用に録られたこともあり残響豊か。チューリヒ・トーンハレのホールトーンを感じさせており、ブラスが響きわたるときの充実感は特に素晴らしい。通常のステレオカートリッジで問題なく再生できます。ノイズはほとんどありません。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで (さらに…)...
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オーディオファイル イギリス・デッカのステレオ録音最初期の優秀録音・名盤3撰 ショルティ、ライナー、ヤナーチェクSQ

オーディオファイル イギリス・デッカのステレオ録音最初期の優秀録音・名盤3撰 ショルティ、ライナー、ヤナーチェクSQ

デッカのステレオ録音最初期の優秀録音・名盤です。通販レコードのご案内GB DECCA ECS703 ショルティ/パリ音楽院管弦楽団 イスラエル・フィル チャイコフスキー 交響曲第2番「小ロシア」 デュカス:魔法使いの弟子「リング」でその名前が一躍グローバルになる直前、1950年代のショルティを代表する名演。ショルティとカルーショーの結びつきは、一般にはワーグナー「ニーベルングの指輪」全曲録音の偉業を成し遂げた二人、という側面でよく知られている。だが実際にはそれだけではなく、カルーショーはショルティについて『ヴィクター・オロフとの最初の一枚以外は、何か理由があったり多忙だったりしたときを除いて、すべて私が彼と一緒に仕事をしていた』と述べている。以後、デッカ時代におけるショルティとの最後の仕事とされるヴェルディ「レクイエム」を制作した1967年10月まで、カルーショーとショルティの長い関係が続いた。  1950年代にデッカはパリ音楽院管とよく仕事をしており、モントゥー、マルティノン、ヴォルフらがフランスものやロシアもののレパートリーを録音していた。「小ロシア」の録音はパリのラ・メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテで響きは多くなく直接音が入っている。同時期に5番も録音されている。ショルティがこの曲を録音しようとした時、リハーサルと本番で主席奏者が入れ替わったり、兵役で4人の奏者が交代したりとトラブルはあったが、この時期ならではの若々しいショルティの息吹がグイグイと伝わって来る快演です。「小ロシア」は、チャイコフスキーの後期交響曲以外ではよく録音されていた。  チャイコフスキーの生きた19世紀は民族主義運動の勃興の時代。オーストリアの音楽家が毎年訪れていた音楽界、我が国ロシアこそと、音楽芸術の世界では民族主義的な音楽が持て囃されていたのでした。若いチャイコフスキーが数々のウクライナ民謡を単に引用するのではなく、交響曲の骨子となる全曲の主題として採用したことに、これからの音楽のあり方を模索していた五人組の新進作曲家たち ― バラキレフ、ボロディンやリムスキー=コルサコフなども絶賛した、この交響曲第2番は、作曲家ではなく当時活躍していた評論家によって「小ロシア」というニックネームが与えられている。大変にウクライナ色の強い交響曲ということで「小ロシア」というタイトルなのですが、ウクライナ国に対する蔑称的色合いがあるとのことで近時は「ウクライナ」と記載することが多くなっている。  この曲の文脈においては、「小ロシア」という言葉には、純粋にロシアの親戚のような国という意味でしかありません。有名な後期三大交響曲に知名度においては遠く及びませんが、西欧音楽理論の粋である、優れた管弦楽法をマスターしていた作曲家チャイコフスキーの交響曲、両端楽章にあらわれるロシア臭たっぷりのメロディーに惹かれる。管楽器が大活躍の耳へのご馳走様。メロディたっぷりの楽しい音楽。ウクライナ系3代目ロシア人チャイコフスキーの作曲。三つの実在のウクライナ民謡が取り込まれている、全曲に祖父の国への親愛の情に溢れています。全曲民謡風の親しみやすい歌えるメロディの宝庫なのです。フィナーレはウクライナ民謡「鶴」を主題として展開してゆく大いなる交響楽章。金管楽器の派手な響きや管楽器の妙などが曲を支配していて、いわゆる深みがない分だけ、純粋な音楽的愉悦を味わえる音楽です。ショルティ盤では他では絶対に聴けないような歌い回しに酔いしれました。英国デッカ社では、この時期、ショルティと関係良好だったウィーン・フィルと後世に語り継がれるオペラを、ウィーンのソフィエンザール(カルーショーがお気に入りだったリング収録場所)で次々と録音している。その一方でその録音セッション合い間に英国のオーディオファイルに向けて、ロンドン響やイスラエル・フィルと有名管弦楽曲の録音も目論んでいた。1957年にデッカはイスラエル・フィルとの録音を開始し、その最初がショルティ指揮のセッションだった。テル・アヴィヴから車で45分もかかるリション・ル・ジオン村にある映画館で録音された。ショルティの指揮する曲は概して大胆さや迫力で押し切る傾向が有りますが、何故かイスラエル・フィルを振るとそこに丁寧さとかつ美しいが加わるから不思議です。例えれば、怒濤のような旋律の中で、ぱっと花が咲くように美しいメロディーが流れる。この点にかけては、ショルティは見逃さず見事に再現している。言い換えればダイナミックレンジが広いとでもいえましょうか、ジョン・カルーショーの意図したものが再現されていると言ってもよいかも知れません。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 希少なED1オリジナルです。通販レコードのご案内GB DECCA SXL6093 ヤナーチェク四重奏団 ハイドン:弦楽四重奏曲集「冗談」「セレナード」「五度」弦楽大国のチェコにおいてスメタナ四重奏団と並び立つ、名門ヤナーチェク弦楽四重奏団の高名なデッカ録音盤。チェロの胴鳴りの美しい響きに乗ってゆったりとヴァイオリンがメロディーを乗せていきます。演奏は一級品ですが、なによりその響きが素晴らしい。タイトでダイレクトな響き。主旋律ではないパートの音色の多彩さまでしっかりと伝わるので響きが実に豊かに聴こえます。結果は演奏の印象にも現れ、曲の構成はより緊密となり、骨格ががっしりとした演奏により迫力も素晴らしいものに引き立てています。演奏はどちらかといえばオーソドックスなものですが、音楽は豊か。4人が織り上げる響きの美しさがLP独特のダイレクトな響きによって際立ちます。ビニールの円盤に溝を刻んだだけのLPから、このように迫力あふれる響きが聴かれる。心に刺さる響きが聴かれる。物理特性などではデジタル録音は、LP時代とは段違いのものが実現されていますが、演奏者とエンジニアがコミュニケーションを取ってより良くしようと試行錯誤を尽くしたことで、音楽の完成度はLP時代の方が高かったのではないかと思わざるを得ません。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 一発取りをしたとしか思えない怒濤の極み通販レコードのご案内GB LONDON STS15009 ライナー/ウィーン・フィル ブラームス ハンガリー舞曲/ドヴォルザーク スラブ舞曲1954年は、まだステレオは実験段階だったと思うが、当時の先進企業米国RCAは、いち早くステレオ技術を取り入れ、見事な録音を行っていたのである。其の代表作が、偉大なRCAステレオ録音第一号盤、LSC1806の「ツァラトゥストラはかく語りき」だったのではなかろうか。その成功を強かな英デッカ社が静観している訳がありません。戦後の混乱に乗じてウィーン・フィルの版権を格安で入手したデッカ社は、当時のステレオ再生技術で最先端を行く米RCA社に業務提携申し入れた。斯くして実現したRCAの看板指揮者フリッツ・ライナーと自社のウィーン・フィルとの偉大な融合が本盤。ライナーは、RCAにシカゴ交響楽団との多くの名録音を残しましたが、それ以外のオーケストラとの録音をデッカにも残しました。ウィーン・フィルとの集中度の高いこの名演奏は、カルショウのプロデュースにより見事な音響でブラームスは1956年9月、ドヴォルザークは1960年6月いずれも録音場所:ウィーン、ゾフィエンザール。RCAの看板指揮者フリッツ・ライナーと自社のウィーン・フィルとの偉大な融合が本盤。ウィーンでのセッションですから、カルーショー中心にデッカチームが担当。生の音とはやや趣を異にするとはいえ、FFSSにさらにRCAの先端技術が加わりさらに磨きがかかりすごい。本盤も、ソフィエンザールでのスタジオ録音とはとても思えない熱気を孕んでいる。一発取りをしたとしか思えない怒濤の極みです。制作陣は、デッカのエリック・スミスとジェームス・ブラウン。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで (さらに…)...
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