DGGに無い魅力が本盤に有る*カラヤン指揮ベルリン・フィル ドヴォルザーク・新世界より、スメタナ・モルダウ

DGGに無い魅力が本盤に有る*カラヤン指揮ベルリン・フィル ドヴォルザーク・新世界より、スメタナ・モルダウ

決して手抜きをしないのがカラヤンと完璧主義者のレッグ・コンビが生み出した陶酔。理想的なレコード・サウンド! スタイリッシュなドヴォルザークの《新世界より》です。  この名曲はドヴォルザークの交響曲第9番ですが、レコード盤のラベル面、レコード・カバー裏のライナーを見ればわかりますが、交響曲第5番と表記されています。カラヤンは DGG でも同曲をレコード発売しますが、それでは「第5(9)番」と初版では印刷されている。  ドヴォルザークの原典版がチェコ国内では整備され始めていましたが、国際版で作品番号の変更が行われるようになった時期だったから、まだローカル色がどうこうという状態じゃなかった。カラヤンがつくる洗練されたスタイルこそがドヴォルザークの一般音楽ファンに浸透させるのには大きな働きとなったと信じている。 カラヤンは同曲を何度も録音しており、EMIだけで2回録音していますが、これは1957-58年の旧録音で、カラヤン壮年期のベルリン・フィル就任3年目のセッション。カラヤンの英国コロムビア/EMI録音は基本的にフィルハーモニア管弦楽団ですが、これは珍しいベルリン・フィルとの録音。  この時期、DGG 専属だったベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と EMI への録音が始まる。レッグが EMI から去るのも間近と思われていたこの頃で、カラヤンの DGG 移籍のための手切れ金替わりとされる。懐疑的な思いを EMI はステレオ録音に持っていて、一方ではステレオ録音をしたいというカラヤンの強い希望を持っていて。その条件として EMI の提案がベルリン・フィルを指揮しての《新世界より》だったのだろう。  英コロムビア時代のカラヤンの指揮は殆どがフィルハーモニア管弦楽団ですが、本盤はコロムビア時代には大変珍しいベルリン・フィルハーモニーとの組み合わせ。《新世界より》には、フィルハーモニアでレコードを発売するよりも「ベルリン・フィルが EMI に初登場!」の効果は大きかっただろう。だったらステレオ盤で発売しても成果はあると算用したと思う。同じ日にヒンデミットの《画家マチス》も録音している。後に《モルダウ》を組み合わせる変更になったのかと想像する。 通販レコードのご案内昭和37年発売の日本コロムビア盤。JP COLUMBIA RS-3008 カラヤン ベルリン・フィル ドヴォルザーク:交響曲9(5)番「新世界より」、スメタナ:交響詩「モルダウ」英 EMI の偉大なレコード・プロデューサー ウォルター・レッグは戦後ナチ党員であったとして演奏を禁じられていたカラヤンの為に、レッグ自ら1945年に創立したフィルハーモニア管弦楽団を提供し、レコード録音で大きな成功を収めた。1954年にドイツ音楽界に君臨していたフルトヴェングラーの急逝にともない、翌55年にカラヤンは、ついにヨーロッパ楽壇の頂点ともいえるベルリン・フィルの首席指揮者の地位に登りつめた。ここでレッグとカラヤンの関係は終止符を打つが、この約10年間に残したレッグ&カラヤン&フィルハーモニアのレコードの数々は、正に基準となるようなレコードであったと断言出来ると思います。演奏はオーケストラに合奏の完璧な正確さを要求し、音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルで、完全主義者だったレッグとうまが合ったのは当然といえば当然で、出来栄えも隙が無い。決して手抜きをしないのがカラヤンの信条であったという。DGG盤にない魅力が本盤には有ります。英コロムビア時代のカラヤンの指揮は殆どがフィルハーモニア管弦楽団ですが、本盤はコロムビア時代には大変珍しいベルリン・フィルハーモニーとの組み合わせ。記憶では本盤含めて2枚しかないと思います。1959年初発盤。■録音年月日:1957年11月28・29日、58年1月6・7日(新世界から)、5月18~20日(新世界から、モルダウ) ■録音場所:グリュンネヴァルト教会、ベルリン ■録音:ステレオ ■スタッフ:P:ウォルター・レッグ、E:ホルスト・リントナー 通販レコード詳細・コンディション、価格 録音秀逸オーディオファイル盤なのは言うまでもない。録音された時代と同じ空気を感じられるのが初期盤収集の楽しみを十二分に与えてくれる名盤です。プロダクトレコード番号RS-3008作曲家アントニーン・ドヴォルザークオーケストラベルリン・フィルハーモニー管弦楽団指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン録音種別STEREO1962.2発売日本コロムビア製ターコイズレーベル国内初出, STEREO 1枚組 155g 重量盤, 英国COLUMBIA同一スタンパー YRX 使用盤。 販売レコードのカバー、レーベル写真 コンディションジャケット状態M-レコード状態M-製盤国JP(日本)盤LP黎明期の息吹が聴こえてきそうな程よく還暦迎えたような訂装、骨董盤としては奇跡的。60年前製造盤とは思えません。レーベル・ガイド 日本コロムビア社社史によると同社クラシック・レコードの歴史は、英コロムビア(EMI)、米コロムビア(CBS)から原盤の供給、それを国内盤として発売して生業立ててきました。 当時の日本国内情勢では米英からの供給代理店変更は当たり前、例として1960年に東芝音楽工業株式会社が設立され、1962年には英コロムビアとの契約を終了。さらに1968年には、CBSソニーレコード株式会社が設立。同年6月末日をもって、米コロムビアとの原盤供給使用契約が終結。これによって日本コロムビアは、EMIとCBSという二大メジャーレーベルの国内発売権喪失干されてしまいます。二大レーベルを失ったことにより、日本コロムビア社洋楽部門は、必然的に自主制作の道をたどって行くことなります。基本的に日本コロムビア社の製作は版権手放す1968年以前になります。 個人的にはマスターテープが移籍後のCBS/SONY制作盤より新鮮な時制作されている所為か、同じワルター、セル、バーンスタイン等々指揮者からブダペスト四重奏団などの室内楽問わず中域厚く好んで聞きますが、今となっては日本コロムビア盤は半世紀以上前の製造でニアミント盤探すのには苦労しています。オーダー・リンクと販売価格詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。  オーダーは 品番 / 34-27118 販売価格 2,750円(税込) (さらに…)...
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名曲名盤縁起 故郷への万感の思いを河の流れに託した名曲 スメタナ〜連作交響詩《我が祖国》より「モルダウ」

名曲名盤縁起 故郷への万感の思いを河の流れに託した名曲 スメタナ〜連作交響詩《我が祖国》より「モルダウ」

チェコ音楽の父スメタナ没 ― 1884年5月12日 大国の強権に脅かされてきた小国には、「英雄的」と評される音楽家が出現して、大きな役割を果たすことが多い。19世紀半ば以降の民族自立の風潮にあっては、ノルウェーにグリーグ、フィンランドにシベリウス、スペインにファリャなどが登場した。チェコの場合は、ベドルジハ・スメタナである。  スメタナの命日には、チェコ国民が今も最も愛する《我が祖国》を聴こう。題名からして愛国的な音楽は、スメタナが聴覚を全く失い、過去の栄光とはかけ離れた困窮生活を送っていた1879年に書かれた6曲からなる連作交響詩で、いずれもチェコの自然と人々を愛した彼が万感の思いを託した標題音楽の傑作である。第2次世界大戦後に、彼の命日に開始される「プラハの春音楽祭」では、その開幕を飾る栄誉を担っている。《モルダウ》は、その第2曲。ボヘミアを南北に流れるヴルタヴァ河(ドイツ語ではモルダウ)の流れゆく様が、周囲の風景とともに描かれる。実に見事な祖国賛歌だ。 ボヘミアの川よ モルダウよ 過ぎし日のごと 今もなお 水清く青き モルダウよ わが故郷を 流れ行く 若人さざめく その岸辺 緑濃き丘に 年ふりし 古城は 立ち 若き群れを 守りたり ボヘミアの川よ モルダウよ わが故郷を 流れ行く ボヘミアの川よ モルダウよ 過ぎし日のごと 今もなお 水清く青き モルダウよ わが故郷を 流れ行く 若人さざめく その岸辺 緑濃き丘に 年ふりし 古城は 立ち 若き群れを 守りたり やさしき流れ モルダウよ 光り満ち わが心にも 常に響き 永久(とわ)の平和を なれは歌(うと)う たたえよ 故郷の流れ モルダウ 日本でもよく歌われる雄大なふるさと賛歌 チェコの作曲家スメタナの連作交響詩「我が祖国』全6曲中の一曲。この連作交響詩では祖国の自然や風景、伝説が題材となっている。6曲中最も有名なのが、この交響詩《モルダウ》で、モルダウ川(ヴルタヴァ川)が源流から川幅を広げ大河となってプラハの街に流れ込む情景が、オーケストラによって巧みに表現されている。冒頭のフルートとクラリネットは、モルダウ川の2つの水源が合流する様子を描いている。これに続き雄大なモルダウの主題が現れる。  このメロディはもともと古い民謡から採られたといわれる。イスラエル国家「ハティクバ」はこの曲を素材としているし、日本では歌詞をつけて合唱曲としてもよく歌われる。さだまさしの『男は大きな河になれ』もこの曲に歌詞をつけた曲。(1874作曲) (さらに…)...
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名曲名盤縁起 ウィーン・フィルを誕生させたニコライの人気作 ニコライ〜歌劇《ウィンザーの陽気な女房たち》序曲

名曲名盤縁起 ウィーン・フィルを誕生させたニコライの人気作 ニコライ〜歌劇《ウィンザーの陽気な女房たち》序曲

ウィーン宮廷楽長ニコライの命日 ― 1849年5月11日 ドイツのロマン派オペラの歴史を飾る作曲家・指揮者オットー・ニコライが、39歳を前にベルリンで夭逝した日。職業音楽家の父の跡を継ぐように強制されたニコライは、16歳で放浪の旅に出る。23歳でローマに赴き、イタリア伝統の教会音楽やオペラの作曲法を身に付けた後、ウィーンの宮廷に仕える音楽家になり、31歳で宮廷楽長にまで上り詰める。その時、ニコライは現代の私たちに至福の喜びを与えてくれるものを組織した。ウィーン・フィルハーモニー協会、つまりウィーン・フィルを生み出してくれたのである。  作曲家ニコライの最高傑作が、亡くなる前年、シェイクスピアの戯曲を題材にして書いた歌劇《ウィンザーの陽気な女房たち》だ。ドイツ以外の国での上演は稀だが、その序曲はとても人気が高い。ロマン派オペラらしい優美な序奏の後、軽やかで流麗な2つの主題によって、いかにもイタリア風のブッファにふさわしい、活き活きとして爽快な音楽だ。 (さらに…)...
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ロシア戦勝曲の評判 初演では大砲を鳴らしたかったチャイコフスキー、祖父の国はウクライナ、そして彼はロシア人

ロシア戦勝曲の評判 初演では大砲を鳴らしたかったチャイコフスキー、祖父の国はウクライナ、そして彼はロシア人

〝バトル・ステレオ〟とも題されていた本盤。ブラス系ポピュラー・ミュージシャンだったボブ・シャープルズによる、ダイナミックで克明なサウンドを楽しめる。〝フェイズ4ステレオ〟は、1963年にデッカ・アメリカが開発した録音方式。20チャンネルのマルチ・マイク・システムで収録した音を、特別なミキサーを通してアンペックスの4トラック・レコーダーで録音、2チャンネルのステレオにミックスダウンするというものでした。クラシック音楽のLPは1964年に初めて発売され、その後約200枚のフェイズ4方式録音によるクラシックLPが制作されています。 通販レコードのご案内《英プレス、Decca Phase4、オリジナル》GB DECCA PFS4044 ロバート・シャープルズ ロンドン祝祭管弦楽団 チャイコフスキー・1812 英DECCAが開発した4チャンネルステレオ再生システム、〝Phase4ステレオ〟は、1963年にデッカ・アメリカが開発した20chマルチ録音を4トラックに収録するという、当時としては画期的な録音方式でした。その後ヨーロッパへもデッカはこの方式を取り入れ、クラシック音楽のLPは1964年に初発売され約200枚のクラシックLPが〝Phase4〟で発売されました。DECCAでは1960年代前半からSXLと並行して、PFSという番号でCONCERT SERIESを出版していた。SXLと同等のプレス。指揮者はSXLシリーズに属さない人々ではあったが、モントゥーやストコフスキーといった大物指揮者が登場。どちらかと言えばデモンストレーション的傾向があったとは言え、無視するには惜しい録音が多い。  ヴィオラとチェロのソロが奏でる正教会の聖歌「神よ汝の民を救い」にもとづく序奏に始まり、以後木管群と弦楽器群が交互に演奏する和音の強奏で序奏を終えると、ロシア軍の行進が近づいてくる。この部分はボロジノ地方の民謡に基づくといわれている主題。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の旋律をホルンが演奏するのをきっかけに、金管楽器群が激しい咆哮、戦闘が始まる。「大砲」がフランス軍を撃退すると、教会の鐘が一斉に鳴り渡り、「大砲」は祝砲に変わり戦争の終わりを告げる。  最初の録音ははっきりしていないが、1903年にビクター・グランド・コンサート・バンドが、1909年にアーサー・プライヤーが自身のバンドとともにビクタートーキングマシンのために吹き込んだ記録があり、英デッカからステレオ・レコード第1号盤(SXL2001)として発売されたのが、ケネス・アルウィン指揮ロンドン交響楽団演奏の録音でした。  ブラス系のポピュラー・ミュージシャンであるボブ・シャープルズ指揮による本盤も、よく知られたメロディーが続く《くるみ割り人形》共々、マルチ・マイク録音によるダイナミックで克明なサウンドを楽しむことができます。  このチャイコフスキーの大序曲《1812年》は、グレナディア・ガーズ軍楽隊が参加し、実際の大砲までぶっぱなす、最高にスペクタクルな演奏。FFSSをキャッチ・フレーズとして、自社のステレオ録音の優秀性をアピールする先導役のような盤でした。  1958年5月1日録音、この日が記念すべきFFSS STEREO録音栄華の幕開けとなったことは言うまでもない。この後デッカ社は、エルネスト・アンセルメ、マントヴァーニ・オーケストラ等で収益を積み重ね、大作「ニーベルングの指環」をサー・ゲオルグ・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で完成したのは周知の事実。当盤は1963年プレスで、SXL ED2と同等。SXL的世界を体験できる。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで  2020年に生誕180周年を迎えたピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~1893年)の音楽は、私たちの心に寄り添う音楽。時に甘く、時に悲しく、深く、語りかけるその音楽は、子どもから大人まで聴く者の心をとらえて離しません。チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」ほど色彩豊かなドラマを感じて弾ける曲はないと思います。出だしから自分が主人公になった気分で興奮したり、感動したり、嘆いたり、チャイコフスキーのメロディの中にはポエムがあります。日本の歌にも寂しげな懐かしさがあるので、私たち日本人も強く共感できるのかもしれません。  そして、愛の喜びと悲しみ、人間の運命との闘い、信教上の心の動きなど。チャイコフスキーは、難解なロシアの民謡・文化をベースにしながらも、その上で色々なテーマを万国共通に分かりやすく曲にできる人でした。 デッカのステレオ録音最初期の優秀録音・名盤です。通販レコードのご案内GB DECCA ECS703 ショルティ/パリ音楽院管弦楽団 イスラエル・フィル チャイコフスキー 交響曲第2番「小ロシア」 デュカス:魔法使いの弟子「リング」でその名前が一躍グローバルになる直前、1950年代のショルティを代表する名演。ショルティとカルーショーの結びつきは、一般にはワーグナー「ニーベルングの指輪」全曲録音の偉業を成し遂げた二人、という側面でよく知られている。だが実際にはそれだけではなく、カルーショーはショルティについて『ヴィクター・オロフとの最初の一枚以外は、何か理由があったり多忙だったりしたときを除いて、すべて私が彼と一緒に仕事をしていた』と述べている。以後、デッカ時代におけるショルティとの最後の仕事とされるヴェルディ「レクイエム」を制作した1967年10月まで、カルーショーとショルティの長い関係が続いた。  1950年代にデッカはパリ音楽院管とよく仕事をしており、モントゥー、マルティノン、ヴォルフらがフランスものやロシアもののレパートリーを録音していた。「小ロシア」の録音はパリのラ・メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテで響きは多くなく直接音が入っている。同時期に5番も録音されている。ショルティがこの曲を録音しようとした時、リハーサルと本番で主席奏者が入れ替わったり、兵役で4人の奏者が交代したりとトラブルはあったが、この時期ならではの若々しいショルティの息吹がグイグイと伝わって来る快演です。「小ロシア」は、チャイコフスキーの後期交響曲以外ではよく録音されていた。  チャイコフスキーの生きた19世紀は民族主義運動の勃興の時代。オーストリアの音楽家が毎年訪れていた音楽界、我が国ロシアこそと、音楽芸術の世界では民族主義的な音楽が持て囃されていたのでした。若いチャイコフスキーが数々のウクライナ民謡を単に引用するのではなく、交響曲の骨子となる全曲の主題として採用したことに、これからの音楽のあり方を模索していた五人組の新進作曲家たち ― バラキレフ、ボロディンやリムスキー=コルサコフなども絶賛した、この交響曲第2番は、作曲家ではなく当時活躍していた評論家によって「小ロシア」というニックネームが与えられている。大変にウクライナ色の強い交響曲ということで「小ロシア」というタイトルなのですが、ウクライナ国に対する蔑称的色合いがあるとのことで近時は「ウクライナ」と記載することが多くなっている。  この曲の文脈においては、「小ロシア」という言葉には、純粋にロシアの親戚のような国という意味でしかありません。有名な後期三大交響曲に知名度においては遠く及びませんが、西欧音楽理論の粋である、優れた管弦楽法をマスターしていた作曲家チャイコフスキーの交響曲、両端楽章にあらわれるロシア臭たっぷりのメロディーに惹かれる。管楽器が大活躍の耳へのご馳走様。メロディたっぷりの楽しい音楽。ウクライナ系3代目ロシア人チャイコフスキーの作曲。三つの実在のウクライナ民謡が取り込まれている、全曲に祖父の国への親愛の情に溢れています。全曲民謡風の親しみやすい歌えるメロディの宝庫なのです。フィナーレはウクライナ民謡「鶴」を主題として展開してゆく大いなる交響楽章。金管楽器の派手な響きや管楽器の妙などが曲を支配していて、いわゆる深みがない分だけ、純粋な音楽的愉悦を味わえる音楽です。ショルティ盤では他では絶対に聴けないような歌い回しに酔いしれました。英国デッカ社では、この時期、ショルティと関係良好だったウィーン・フィルと後世に語り継がれるオペラを、ウィーンのソフィエンザール(カルーショーがお気に入りだったリング収録場所)で次々と録音している。その一方でその録音セッション合い間に英国のオーディオファイルに向けて、ロンドン響やイスラエル・フィルと有名管弦楽曲の録音も目論んでいた。1957年にデッカはイスラエル・フィルとの録音を開始し、その最初がショルティ指揮のセッションだった。テル・アヴィヴから車で45分もかかるリション・ル・ジオン村にある映画館で録音された。ショルティの指揮する曲は概して大胆さや迫力で押し切る傾向が有りますが、何故かイスラエル・フィルを振るとそこに丁寧さとかつ美しいが加わるから不思議です。例えれば、怒濤のような旋律の中で、ぱっと花が咲くように美しいメロディーが流れる。この点にかけては、ショルティは見逃さず見事に再現している。言い換えればダイナミックレンジが広いとでもいえましょうか、ジョン・カルーショーの意図したものが再現されていると言ってもよいかも知れません。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 暗い運命との闘争から勝利へ、というベートーヴェンの交響曲第5番にヒントを得て書かれた「私たちの交響曲」。 通販レコードのご案内《英プレス、ワイドバンドED3盤》GB DECCA SXL6428 ヴィシネフスカヤ&ロストロポーヴィッチ ブリテン&チャイコフスキー歌曲集 ショスタコーヴィチにも愛されたロシア・オペラ界きってのソプラノ歌手であるガリーナ・ヴィシネフスカヤ(Галина Павловна Вишневская 、ガリーナ・パーヴラヴナ・ヴィシュニェーフスカヤ、1926年10月25日 - 2012年12月11日)は、1952~174年までボリショイ劇場のソリストとして活躍し、私生活では55年にムスティスラフ・ロストロポーヴィチと結婚。70年にロストロポーヴィチが反体制派作家のソルジェニーツィンを擁護して当局から国内外の演奏活動を妨害されると、74年に国外へ脱出した夫に同行。やがて首都ワシントンに暮らすようになり、78年には二人ともソ連国籍を剥奪されるも、1990年にゴルバチョフ政権下の祖国へ帰国。その後は、後進の育成にあたる一方で、夫とともに子どもの医療改善を目指すビシネフスカヤ=ロストロポーヴィチ財団を設立して現在に至っています。  ピアノの名手でもあった夫を伴奏に迎え、彼女のレパートリーの中核をなすチャイコフスキーの歌曲と、ブリテンが彼女のためにロシア語で書いた歌曲。彼女自身が「私の人生で最も重要な録音プロジェクト」と語る歴史的名演が、本盤です。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで  セルとクリーヴランド管弦楽団とも違って、セルがロンドン交響楽団に客演した演奏にはすごみが増す。ピアノ付き交響曲とも言われるブラームスのピアノ協奏曲。ピアノ協奏曲というよりは交響曲という佇まい、風格を持った曲だ。  シンフォニーの前奏を想起させる冒頭から指揮者の尋常でない気迫が伝わってきます。この曲は、第一楽章がほぼ総ての曲の革新であるので、ここをどのように解釈し演奏するかに曲全体の成功の正否が掛かっていると言ってよい。音抜けの良い惚れ惚れするようなホルンの豪快な斉奏で始まり、重低音を響かせながら一気呵成に突き進む。それくらいこの曲でのオーケストラの音の厚さ、複雑な絡み合い、メロディーの美しさなど他のピアノ協奏曲と比較すると別格だ。  この指揮者はソリストに寄り添いながらも音楽の進行を常に生き生きと司り、「競奏」などというようなエゴを排した高次の「協奏」に向かっていく。ソリストを誘うのでなく、大オーケストラが前方の空気を律し、ソリストが堂々を歩めるよう道を先導する。どの音符もないがしろにされず、どの瞬間も聴き手の心を熱くさせずに虚ろに鳴り響くことがありません。安定の手兵との共演でなく他の管弦楽団への客演ということで、そこが一層緊張感をはらんでいて、しかもその緊張が良い方向にあらわれている。  またピアノも音も複雑に入り組んでおり、ピアノとオーケストラが一体となった時の高揚感はとんでもないものがある。それだけにやや訥弁で、控え目ではないかとソリストの演奏を感じてしまいがちだが、完璧な管弦楽だからこそ、カーゾンは若いブラームスの心情の純粋さと脆さを非常によく伝えていけるのです。第2楽章に耳を傾けてください。カーゾンの独奏は、一つ一つ音を噛みしめながらも、ごく自然に音楽の「間」を作り、管弦楽の荘重な響きの平原を印象的に昇っていきます。弦楽器が低音で非常に美しく呟き、金管楽器の思いがけない強奏がこの楽章のレクイエム的な性格を際立たせるなかに、もっと個人的な心情のたゆたう様子がピアノによって表現される。  交響曲を書き上げたいという作曲家の想いが強かったばかりに、ブラームスのこの作品が、多少若書きのアンバランスがあるがゆえに、指揮者の工夫とソリストの反応次第で、聴き手の心に紛れのない痕跡を残していく音楽になるのだろう。くわえて、プロデューサーのジョン・カルショーと録音エンジニアのケネス・ウィルスキンソンがキングスウェイ・ホールで録音したものである。これだけの好条件が揃えば、悪かろう筈がなく、期待に違わぬ素晴らしいレコードです。  幅広くヨーロッパの文化を受けとり、自国だけではなく、世界中で芸術活動をし、それでいて本当にロシア人が理想とするロシア人のような人でした。あの時代、自分の感情を自由に表すことは社会的に無理でした。苦しいところ、気をつけないといけないところが沢山あったので、表には出さず、自分の心の動きを見つめていたのではないでしょうか。子供の頃から文学好きの愛国者で、ロシアの歴史や文化、民族音楽を深く理解していただけでなく、全世界にも強く興味を持ち、数ヵ国語を話すことができました。  特にチャイコフスキーの歌曲からそんな背景が見えてきます。少しずつ自分の苦しい気持ちを語りだされる「ただ憧れを知る者のみが」ですが、次第に我慢出来なくなって、ずっと抑えられていたパッションや絶望が噴火してしまいますが、再び自分の内の世界に戻って平明な歌になる。日本人にも文化的に通じるところがあるように感じています。チャイコフスキーの音楽は日本でも大変人気があります。ロシアの自然、生活感から生み出される深い憂愁、甘美さ、烈しさにみなぎっているメロディーはドラマティックでチャイコフスキーの作品本来の魅力をたっぷり味わうことができます。 ブルガリアの名歌手、ギャウロフが歌ったロシア語による歌を収めたアルバムです。通販レコードのご案内GB DECCA SXL6530 ニコライ・ギャウロフ ロシア歌曲集ブルガリア山間部の温泉地、ヴェリングラトの生んだ20世紀を代表するバス歌手の一人、ニコライ・ギャウロフ(1929-2004)は、幼少時にはピアノ、ヴァイオリン、クラリネットを習っていましたが、20歳から声楽に転向、ブルガリア国立音楽院で1年間勉強し、その後はモスクワ音楽院で1955年までの5年間学んで実力をつけます。  ギャウロフが注目を集めるのは1955年のパリ国際音楽コンクールでの優勝がきっかけで、すぐにプロとしてのキャリアをスタート、スカラ座やウィーン、コヴェントガーデン、ボリショイ劇場などにも出演するようになります。  ブルガリアはソ連とは同じスラヴ系言語ということで緊密な関係にあり、ギャウロフも声楽の本格的な勉強はモスクワで長期間おこなうなど、ロシア語作品は最重要なレパートリーとして積極的に取り組んでいました。1960~1970年代の脂ののった艶のある声は、ロシア・オペラには無くてはならない役にはまった歌唱なのです。ロシアの叙事詩を歌った歌曲や民謡なども、ドラマティックな特性が的確なバランスで歌われた名唱です。戦後最大のバス歌手と称される、名声を確立した1970年代に入って録音された歌曲アルバム。ギャウロフの最初の妻でピアニスト、息子の指揮者ヴラディーミルの生みの母でもあるズラティーナ・ミシャコワの伴奏で1971年にデッカでセッション録音したアルバム「ロシア歌曲集」。チャイコフスキーの「ドン・ファンのセレナード」では、ドン・ジョヴァンニ役でも高評価のギャウロフらしい粋な歌を聴かせます。Side-1チャイコフスキー:Nyet, tolko tot, kto znal(6つのロマンス Op.6 第6番 ただ憧れを知る者のみが)チャイコフスキー:Ni slova o drug moy(6つのロマンス Op.6 第2番 語るな、友よ)チャイコフスキー:Serenada Don-Zhuana(6つのロマンス Op.38 第1番 ドン・ファンのセレナーデ)チャイコフスキー:To bylo ranneyu vesnoi(6つのロマンス Op.38 第2番 それは早春のことだった)チャイコフスキー:Sryed shumnovo bala(騒がしい舞踏会の中で)チャイコフスキー:Blagoslavlyayu vas, lesa(森よ、私は祝福する)Side-2ボロディン:Dlya beregov otschizni dal'noi(For the Shores of Your Distant Homeland 遠い祖国の岸へ)グリンカ:Nochnoy smotr(The Night Review 真夜中の閲兵)ルビンシテイン:Melodya(メロディー)ダルゴムイシスキー:Chervyak(虫けら)ダルゴムイシスキー:Nochnoi defir stroont efir(夜のそよ風が穏やかに漂う)ダルゴムイシスキー:Starij Kapral(老伍長)  東欧ブルガリアからは、最も低い男声バスの名歌手が輩出されている。ボリス・クリストフ、ニコライ・ギュゼレフ、そして2004年に他界したニコライ・ギャウロフである。まさに〝バスの王国〟である。ギャウロフが育った家庭は貧しく、買ってもらえた楽器はハーモニカだったという。しかし彼には、神様から与えられた美声があった。  第二次大戦に向かっていく時代の小国の貧しい寒村の出身で大戦後も共産圏の国家でしたから、若い頃はたいそう苦労したそうです。そうしたなかでもヴァイオリンやピアノ、それにクラリネットを学びます。あるとき彼はオーケストラで合唱や独唱者のついた大規模な曲の指揮を振ることになりました。ところがこの独唱者がへっぽこで何度言っても彼の言うとおりに歌ってくれません。いい加減頭にきた彼は「いいか!こうやって歌うんだ!」と独唱者の代わりにオーケストラに合わせて歌ってやりました。すると合唱もオーケストラもみんな呆然としてしまいました。訝る彼に独唱者は言いました。「君が歌うべきだよ」それほど彼の歌が素晴らしかったのです。  しかもその素晴らしい声に加えて、彼はどんな役にも存在感を与えるだけの卓越した表現力を兼ね備えています。1950年代の終わり頃から国際的な活動を始めたギャウロフの歌には、〝バスの帝国〟ロシアの歌手たちの力任せの歌唱とは一味違って、知的な洗練が施されていた。1971年、ウィーン、ゾフィエンザール録音。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 天上の天使たちも、地上の兵士たちも、群集も手をたずさえて平和を祈る。 通販レコードのご案内《英プレス、ワイドバンドED3盤》GB DECCA SXL6428 ヴィシネフスカヤ&ロストロポーヴィッチ ブリテン&チャイコフスキー歌曲集 ショスタコーヴィチにも愛されたロシア・オペラ界きってのソプラノ歌手であるガリーナ・ヴィシネフスカヤ(Галина Павловна Вишневская 、ガリーナ・パーヴラヴナ・ヴィシュニェーフスカヤ、1926年10月25日 - 2012年12月11日)は、1952~174年までボリショイ劇場のソリストとして活躍し、私生活では55年にムスティスラフ・ロストロポーヴィチと結婚。70年にロストロポーヴィチが反体制派作家のソルジェニーツィンを擁護して当局から国内外の演奏活動を妨害されると、74年に国外へ脱出した夫に同行。やがて首都ワシントンに暮らすようになり、78年には二人ともソ連国籍を剥奪されるも、1990年にゴルバチョフ政権下の祖国へ帰国。その後は、後進の育成にあたる一方で、夫とともに子どもの医療改善を目指すビシネフスカヤ=ロストロポーヴィチ財団を設立して現在に至っています。  ピアノの名手でもあった夫を伴奏に迎え、彼女のレパートリーの中核をなすチャイコフスキーの歌曲と、ブリテンが彼女のためにロシア語で書いた歌曲。彼女自身が「私の人生で最も重要な録音プロジェクト」と語る歴史的名演が、本盤です。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで  セルとクリーヴランド管弦楽団とも違って、セルがロンドン交響楽団に客演した演奏にはすごみが増す。ピアノ付き交響曲とも言われるブラームスのピアノ協奏曲。ピアノ協奏曲というよりは交響曲という佇まい、風格を持った曲だ。  シンフォニーの前奏を想起させる冒頭から指揮者の尋常でない気迫が伝わってきます。この曲は、第一楽章がほぼ総ての曲の革新であるので、ここをどのように解釈し演奏するかに曲全体の成功の正否が掛かっていると言ってよい。音抜けの良い惚れ惚れするようなホルンの豪快な斉奏で始まり、重低音を響かせながら一気呵成に突き進む。それくらいこの曲でのオーケストラの音の厚さ、複雑な絡み合い、メロディーの美しさなど他のピアノ協奏曲と比較すると別格だ。  この指揮者はソリストに寄り添いながらも音楽の進行を常に生き生きと司り、「競奏」などというようなエゴを排した高次の「協奏」に向かっていく。ソリストを誘うのでなく、大オーケストラが前方の空気を律し、ソリストが堂々を歩めるよう道を先導する。どの音符もないがしろにされず、どの瞬間も聴き手の心を熱くさせずに虚ろに鳴り響くことがありません。安定の手兵との共演でなく他の管弦楽団への客演ということで、そこが一層緊張感をはらんでいて、しかもその緊張が良い方向にあらわれている。  またピアノも音も複雑に入り組んでおり、ピアノとオーケストラが一体となった時の高揚感はとんでもないものがある。それだけにやや訥弁で、控え目ではないかとソリストの演奏を感じてしまいがちだが、完璧な管弦楽だからこそ、カーゾンは若いブラームスの心情の純粋さと脆さを非常によく伝えていけるのです。第2楽章に耳を傾けてください。カーゾンの独奏は、一つ一つ音を噛みしめながらも、ごく自然に音楽の「間」を作り、管弦楽の荘重な響きの平原を印象的に昇っていきます。弦楽器が低音で非常に美しく呟き、金管楽器の思いがけない強奏がこの楽章のレクイエム的な性格を際立たせるなかに、もっと個人的な心情のたゆたう様子がピアノによって表現される。  交響曲を書き上げたいという作曲家の想いが強かったばかりに、ブラームスのこの作品が、多少若書きのアンバランスがあるがゆえに、指揮者の工夫とソリストの反応次第で、聴き手の心に紛れのない痕跡を残していく音楽になるのだろう。くわえて、プロデューサーのジョン・カルショーと録音エンジニアのケネス・ウィルスキンソンがキングスウェイ・ホールで録音したものである。これだけの好条件が揃えば、悪かろう筈がなく、期待に違わぬ素晴らしいレコードです。 (さらに…)...
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おしゃれクラシック/甘美と哀愁の狭間で〜ハート・オブ・チャイコフスキー イギリス・デッカの優秀録音

おしゃれクラシック/甘美と哀愁の狭間で〜ハート・オブ・チャイコフスキー イギリス・デッカの優秀録音

子どもたちがクラシック音楽に親しみ、知識とし喜びを見出すことを楽しみとした、カマラータの確かな演奏による充実作で夢見心地の素晴らしさ。通販レコードのご案内《英プレス、Phase4》GB DECCA PFS4140 カマラータ/キングズウェイ交響楽団 THE HEART OF TCHAIKOVSKY トゥッティ・カマラータ(Tutti Camarata)はベニー・グッドマン、ルイ・アームストロング、ビング・クロスビー、ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、デューク・エリントンらとの共演。トミー&ジミー・ドーシー楽団やベニー・グッドマン楽団のリード・トランペッターとして活躍し、ジミー・ドーシー楽団のヒット曲を作曲したことに始まり、同時に作編曲家としても活動の幅を広げた、ジャズの時代を築いてきた人物の一人です。1940年代中盤以降は、映画音楽など裏方として活動。  近年ではアレサ・フランクリン、リンゴ・スター、バリー・マニロウ、ジェネシス、ヴァン・ヘイレンといった多彩なミュージシャンのアルバム制作に関わっている。  彼は子どもたちがクラシック音楽に親しみ、知識とし喜びを見出すことを楽しみとし、ディズニーランドレコードで300枚のアルバムを制作した。ハリウッドでの音楽貢献は計り知れない。  NHKのラジオ深夜便などで聴く機会も少なくない、どの曲もラジオ放送向けに仕立てなおしている。CDが発売され始めた頃には、作曲家(リムスキー=コルサコフ、ボロディン、ラフマニノフ、プッチーニ、ヴェルディ、ビゼー、サン=サーンス、ラヴェル、サティ、ガーシュウィン、ヨハン・シュトラウス、バッハ)それぞれのエキゾチックな名曲をコンパクトにアレンジ、まとめたシリーズは喫茶店やレストラン、ホテルのフロントでのBGMとして評判でした。 「THE HEART OF TCHAIKOVSKY」は、甘美と哀愁の極まれるチャイコフスキーの楽曲をジャズやポップス、イージーリスニングにと彩る1枚。キングズウェイ交響楽団は、クレジットは無いが名手を揃えた、録音のための臨時編成オーケストラ。確かな演奏による充実作で夢見心地の素晴らしさ。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 他では絶対に聴けないような歌い回しに酔いしれた。通販レコードのご案内GB DECCA ECS703 ショルティ/パリ音楽院管弦楽団 イスラエル・フィル チャイコフスキー 交響曲第2番「小ロシア」 デュカス:魔法使いの弟子「リング」でその名前が一躍グローバルになる直前、1950年代のショルティを代表する名演。ショルティとカルーショーの結びつきは、一般にはワーグナー「ニーベルングの指輪」全曲録音の偉業を成し遂げた二人、という側面でよく知られている。だが実際にはそれだけではなく、カルーショーはショルティについて『ヴィクター・オロフとの最初の一枚以外は、何か理由があったり多忙だったりしたときを除いて、すべて私が彼と一緒に仕事をしていた』と述べている。以後、デッカ時代におけるショルティとの最後の仕事とされるヴェルディ「レクイエム」を制作した1967年10月まで、カルーショーとショルティの長い関係が続いた。  1950年代にデッカはパリ音楽院管とよく仕事をしており、モントゥー、マルティノン、ヴォルフらがフランスものやロシアもののレパートリーを録音していた。「小ロシア」の録音はパリのラ・メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテで響きは多くなく直接音が入っている。同時期に5番も録音されている。ショルティがこの曲を録音しようとした時、リハーサルと本番で主席奏者が入れ替わったり、兵役で4人の奏者が交代したりとトラブルはあったが、この時期ならではの若々しいショルティの息吹がグイグイと伝わって来る快演です。「小ロシア」は、チャイコフスキーの後期交響曲以外ではよく録音されていた。  チャイコフスキーの生きた19世紀は民族主義運動の勃興の時代。オーストリアの音楽家が毎年訪れていた音楽界、我が国ロシアこそと、音楽芸術の世界では民族主義的な音楽が持て囃されていたのでした。若いチャイコフスキーが数々のウクライナ民謡を単に引用するのではなく、交響曲の骨子となる全曲の主題として採用したことに、これからの音楽のあり方を模索していた五人組の新進作曲家たち ― バラキレフ、ボロディンやリムスキー=コルサコフなども絶賛した、この交響曲第2番は、作曲家ではなく当時活躍していた評論家によって「小ロシア」というニックネームが与えられている。大変にウクライナ色の強い交響曲ということで「小ロシア」というタイトルなのですが、ウクライナ国に対する蔑称的色合いがあるとのことで近時は「ウクライナ」と記載することが多くなっている。  この曲の文脈においては、「小ロシア」という言葉には、純粋にロシアの親戚のような国という意味でしかありません。有名な後期三大交響曲に知名度においては遠く及びませんが、西欧音楽理論の粋である、優れた管弦楽法をマスターしていた作曲家チャイコフスキーの交響曲、両端楽章にあらわれるロシア臭たっぷりのメロディーに惹かれる。管楽器が大活躍の耳へのご馳走様。メロディたっぷりの楽しい音楽。ウクライナ系3代目ロシア人チャイコフスキーの作曲。三つの実在のウクライナ民謡が取り込まれている、全曲に祖父の国への親愛の情に溢れています。全曲民謡風の親しみやすい歌えるメロディの宝庫なのです。フィナーレはウクライナ民謡「鶴」を主題として展開してゆく大いなる交響楽章。金管楽器の派手な響きや管楽器の妙などが曲を支配していて、いわゆる深みがない分だけ、純粋な音楽的愉悦を味わえる音楽です。ショルティ盤では他では絶対に聴けないような歌い回しに酔いしれました。英国デッカ社では、この時期、ショルティと関係良好だったウィーン・フィルと後世に語り継がれるオペラを、ウィーンのソフィエンザール(カルーショーがお気に入りだったリング収録場所)で次々と録音している。その一方でその録音セッション合い間に英国のオーディオファイルに向けて、ロンドン響やイスラエル・フィルと有名管弦楽曲の録音も目論んでいた。1957年にデッカはイスラエル・フィルとの録音を開始し、その最初がショルティ指揮のセッションだった。テル・アヴィヴから車で45分もかかるリション・ル・ジオン村にある映画館で録音された。ショルティの指揮する曲は概して大胆さや迫力で押し切る傾向が有りますが、何故かイスラエル・フィルを振るとそこに丁寧さとかつ美しいが加わるから不思議です。例えれば、怒濤のような旋律の中で、ぱっと花が咲くように美しいメロディーが流れる。この点にかけては、ショルティは見逃さず見事に再現している。言い換えればダイナミックレンジが広いとでもいえましょうか、ジョン・カルーショーの意図したものが再現されていると言ってもよいかも知れません。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで ブルガリアの名歌手、ギャウロフが歌ったロシア語による歌を収めたアルバムです。通販レコードのご案内GB DECCA SXL6530 ニコライ・ギャウロフ ロシア歌曲集ブルガリア山間部の温泉地、ヴェリングラトの生んだ20世紀を代表するバス歌手の一人、ニコライ・ギャウロフ(1929-2004)は、幼少時にはピアノ、ヴァイオリン、クラリネットを習っていましたが、20歳から声楽に転向、ブルガリア国立音楽院で1年間勉強し、その後はモスクワ音楽院で1955年までの5年間学んで実力をつけます。  ギャウロフが注目を集めるのは1955年のパリ国際音楽コンクールでの優勝がきっかけで、すぐにプロとしてのキャリアをスタート、スカラ座やウィーン、コヴェントガーデン、ボリショイ劇場などにも出演するようになります。  ブルガリアはソ連とは同じスラヴ系言語ということで緊密な関係にあり、ギャウロフも声楽の本格的な勉強はモスクワで長期間おこなうなど、ロシア語作品は最重要なレパートリーとして積極的に取り組んでいました。1960~1970年代の脂ののった艶のある声は、ロシア・オペラには無くてはならない役にはまった歌唱なのです。ロシアの叙事詩を歌った歌曲や民謡なども、ドラマティックな特性が的確なバランスで歌われた名唱です。戦後最大のバス歌手と称される、名声を確立した1970年代に入って録音された歌曲アルバム。ギャウロフの最初の妻でピアニスト、息子の指揮者ヴラディーミルの生みの母でもあるズラティーナ・ミシャコワの伴奏で1971年にデッカでセッション録音したアルバム「ロシア歌曲集」。チャイコフスキーの「ドン・ファンのセレナード」では、ドン・ジョヴァンニ役でも高評価のギャウロフらしい粋な歌を聴かせます。 2020年に生誕180周年を迎えたピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~1893年)の音楽は、私たちの心に寄り添う音楽。時に甘く、時に悲しく、深く、語りかけるその音楽は、子どもから大人まで聴く者の心をとらえて離しません。チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」ほど色彩豊かなドラマを感じて弾ける曲はないと思います。出だしから自分が主人公になった気分で興奮したり、感動したり、嘆いたり、チャイコフスキーのメロディの中にはポエムがあります。日本の歌にも寂しげな懐かしさがあるので、私たち日本人も強く共感できるのかもしれません。  そして、愛の喜びと悲しみ、人間の運命との闘い、信教上の心の動きなど。チャイコフスキーは、難解なロシアの民謡・文化をベースにしながらも、その上で色々なテーマを万国共通に分かりやすく曲にできる人でした。 幅広くヨーロッパの文化を受けとり、自国だけではなく、世界中で芸術活動をし、それでいて本当にロシア人が理想とするロシア人のような人でした。あの時代、自分の感情を自由に表すことは社会的に無理でした。苦しいところ、気をつけないといけないところが沢山あったので、表には出さず、自分の心の動きを見つめていたのではないでしょうか。子供の頃から文学好きの愛国者で、ロシアの歴史や文化、民族音楽を深く理解していただけでなく、全世界にも強く興味を持ち、数ヵ国語を話すことができました。  特にチャイコフスキーの歌曲からそんな背景が見えてきます。少しずつ自分の苦しい気持ちを語りだされる「ただ憧れを知る者のみが」ですが、次第に我慢出来なくなって、ずっと抑えられていたパッションや絶望が噴火してしまいますが、再び自分の内の世界に戻って平明な歌になる。日本人にも文化的に通じるところがあるように感じています。チャイコフスキーの音楽は日本でも大変人気があります。ロシアの自然、生活感から生み出される深い憂愁、甘美さ、烈しさにみなぎっているメロディーはドラマティックでチャイコフスキーの作品本来の魅力をたっぷり味わうことができます。 Side-1チャイコフスキー:Nyet, tolko tot, kto znal(6つのロマンス Op.6 第6番 ただ憧れを知る者のみが)チャイコフスキー:Ni slova o drug moy(6つのロマンス Op.6 第2番 語るな、友よ)チャイコフスキー:Serenada Don-Zhuana(6つのロマンス Op.38 第1番 ドン・ファンのセレナーデ)チャイコフスキー:To bylo ranneyu vesnoi(6つのロマンス Op.38 第2番 それは早春のことだった)チャイコフスキー:Sryed shumnovo bala(騒がしい舞踏会の中で)チャイコフスキー:Blagoslavlyayu vas, lesa(森よ、私は祝福する)Side-2ボロディン:Dlya beregov otschizni dal'noi(For the Shores of Your Distant Homeland 遠い祖国の岸へ)グリンカ:Nochnoy smotr(The Night Review 真夜中の閲兵)ルビンシテイン:Melodya(メロディー)ダルゴムイシスキー:Chervyak(虫けら)ダルゴムイシスキー:Nochnoi defir stroont efir(夜のそよ風が穏やかに漂う)ダルゴムイシスキー:Starij Kapral(老伍長)  東欧ブルガリアからは、最も低い男声バスの名歌手が輩出されている。ボリス・クリストフ、ニコライ・ギュゼレフ、そして2004年に他界したニコライ・ギャウロフである。まさに〝バスの王国〟である。ギャウロフが育った家庭は貧しく、買ってもらえた楽器はハーモニカだったという。しかし彼には、神様から与えられた美声があった。  第二次大戦に向かっていく時代の小国の貧しい寒村の出身で大戦後も共産圏の国家でしたから、若い頃はたいそう苦労したそうです。そうしたなかでもヴァイオリンやピアノ、それにクラリネットを学びます。あるとき彼はオーケストラで合唱や独唱者のついた大規模な曲の指揮を振ることになりました。ところがこの独唱者がへっぽこで何度言っても彼の言うとおりに歌ってくれません。いい加減頭にきた彼は「いいか!こうやって歌うんだ!」と独唱者の代わりにオーケストラに合わせて歌ってやりました。すると合唱もオケもみんな呆然としてしまいました。訝る彼に独唱者は言いました。「君が歌うべきだよ」それほど彼の歌が素晴らしかったのです。  しかもその素晴らしい声に加えて、彼はどんな役にも存在感を与えるだけの卓越した表現力を兼ね備えています。1950年代の終わり頃から国際的な活動を始めたギャウロフの歌には、〝バスの帝国〟ロシアの歌手たちの力任せの歌唱とは一味違って、知的な洗練が施されていた。1971年、ウィーン、ゾフィエンザール録音。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで スタンリー・ブラックの「大いなるロシア!」通販レコードのご案内GB DECCA PFS4084 スタンリー・ブラック ロンドン祝祭管弦楽団 ロシア曲集フェイズ4の華やかな録音が世界各国の美しいメロディーをさがしました。楽しいお国めぐり、今回は……ロシアには人の心の琴線に触れる音楽の雄大な土壌があることを実感する貴重なアルバムだ。1960/70年代に君臨したムード・ミュージックの雄、スタンリー・ブラック。ロシアものともなれば極めつけ。ロシア民謡をはじめとするお馴染みの旋律が雄大なサウンドに変身。こういう徹底して真剣にドラマティックな造り方は、今となっては生れ得ない貴重なもの。とくに東西という枠組がなくなりつつある現在では。子供の頃からロシア民謡は大好きだった。世界の民謡の中で傑出しているのはロシアとイタリアだと思う。もちろん民謡だから人の声で聴くのが一番心に訴えかけてくるのだけれど、器楽の演奏にも素晴しいものがある。スタンリー・ブラックの「大いなるロシア!」は、1966年にLONDONのphase 4 stereoシリーズとして録音されたものだ。 この録音で用いられた《Phase 4 Stereo》はDeccaが1960年代初頭、他社に先駆けて導入した20チャンネル・マルチトラック収録。メカ好きで有名だったストコフスキーはポピュラーやイージー・リスニングの分野で採用されはじめていたPhase 4 Stereo(フェイズ・フォー・ステレオ)方式を自身の録音に応用しようと提案。そのため、レコーディング・スタッフもDeccaの通常のクラシック収録とは違う、専門チームが当たったといいます。 Side-1メドウランド二つのギターモスコーの夜は更けてバラライカでSide-2剣の舞黒い瞳トレパークヴォルカの舟歌バーバヤガーの小屋〜キエフの大きな門 スタンリー・ブラックの胸のすくアレンジでマンモス級のスケールの大きなロシア民謡が展開される。オーケストラ・合唱はロンドン・フェスティヴァル管弦楽団・合唱団。 冒頭は「メドウランド」、これはポーリュシカ・ポーレ(美しき草原)をアレンジしたもので、ロシアの大草原を彷彿とさせるダイナミックな演奏。 「二つのギター」は哀愁にあふれた美しい曲。 「モスコーの夜は更けて」はダーク・ダックスが日本に紹介して日本人の心を虜にした曲で、ここでは合唱団のバスが効いた重厚な演奏。 「バラライカで」はタンゴのリズムでバラライカとストリングスが甘いメロディーを奏でる。 「剣の舞」は打楽器と金管が大活躍し、迫力満点。 良く知られた「黒い瞳」は情熱的な黒い瞳を持ったジプシー娘を歌った美しい曲。このアレンジは最高だ。ふとした時に、私はよく、この演奏が心に浮かんできて、口ずさんでしまう。 「トレパーク」はチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の中の「道化の踊り」。 「ヴォルガの舟歌」はロシア民謡の中で一番初めに好きになった曲。暗い歴史を持つ労働歌だが、重労働である舟曳きに、この歌を歌って耐えたロシアの民衆の心が伝わってくる気がする。 最後の「バーバ・ヤガーの小屋~キエフの大門」はムソルグスキーの「展覧会の絵」の最後の2曲。ラヴェルの編曲をスタンリー・ブラック風に更にダイナミックに仕上げてアルバムを締めくくる。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで ロシアの原曲が光るアルバムです。通販レコードのご案内JP LONDON L25C-3033 ショルティ シカゴ交響楽団 ムソルグスキー・展覧会の絵/ラヴェル・クープランの墓ショルティはオーケストラを支える名手を上手に登用しながら最高水準の音楽を作り上げていきます。アンサンブルの緻密さは言うまでもなく、ソロ楽器の巧みさ、ダイナミックな力感、どれをとっても最高レベルの内容。シカゴ交響楽団メンバーの名人芸が光る作品です。20世紀におけるオーケストラ演奏の粋がここにあります。ムソルグスキーの独創的なピアノ作品をラヴェルが華麗にオーケストレーションした『展覧会の絵』。20世紀におけるオーケストラ演奏の粋がここにあります。迫力満点のオーケストラの醍醐味がたっぷりと味わえる一枚。1980年録音の本盤演奏はロシア指揮者による土俗っぽいものではなく、かと言って洒落たものでもないけれど、ショルティの研ぎ澄まされたバランス感覚とヴィルトゥオーソ集団のシカゴ響による完璧なアンサンブルにより、重量感と透明感が同居した圧倒的な演奏です。1980年5月5-8日シカゴ、メディナ・テンプル録音。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで (さらに…)...
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通販レコードのご案内♭「時の過ぎ行くままに」「夏の日の恋」「 バラ色の人生」「枯葉」比類なきマントヴァーニの世界

通販レコードのご案内♭「時の過ぎ行くままに」「夏の日の恋」「 バラ色の人生」「枯葉」比類なきマントヴァーニの世界

〝ムード音楽〟の巨匠が紡ぐ、魅惑のストリングス『魅惑の宵』『シャルメーヌ』『ムーラン・ルージュの歌』…。1950年代から60年代にかけ数多くのヒット曲を世に送り出し、〝ムード音楽〟というイージーリスニングを草分けるムーヴメントを起こし、新たなジャンルを確立、常にその第一線で活躍し続けた巨匠・マントヴァーニ。 彼が紡ぎ出してきた数々の音色は今もなおその輝きを失わず、以後登場する同種のムード音楽オーケストラに多大な影響を与えました。まさに彼なくしてムード音楽は語れないほどの偉大な存在です。 ここにご紹介する英デッカのオリジナル盤で、まるで滝が流れ落ちるかのように美しいストリングスの響きが奏でられる、マントヴァーニの代名詞〝カスケーディング・ストリングス〟も存分にお楽しみいただけます。 黄金の60、70年代ポップス、往年の銀幕の名曲、ミュージカルの傑作、英デッカのバックアップを受けたフルオーケストラのゴージャズな作品やストリングスが魅力的なクラシックや世界の民謡などの名曲も心が洗われる思いで聴き入ってしまいました。アヌンツィオ・パオロ・マントヴァーニは1905年、イタリア・ベニスに生まれ、1980年に逝去。はや40年の歳月が過ぎましたが、帝王カラヤンも彼のレコードから学んだものがあるんじゃないかと思うくらいの「カスケーディング・ストリングス」と呼ばれる、滝が流れ落ちるようなその美しいヴァイオリンの響きは、マントヴァーニの代名詞でもあり、今なお人々を魅了している。彼の父親はミラノ・スカラ座のヴァイオリン奏者で、アルトゥーロ・トスカニーニのもとで演奏していた。幼い頃英国に移住。マントヴァーニ自身はヴァイオリニストからライト・ミュージックに転向し、楽団指揮者、作・編曲者として記録的な成功を収めます。時はレコード産業に追い風が吹いていた時代で、英デッカの専属となったことで、ステレオ・レコーディングの恩恵を彼ら楽団は受けた。こうして英国人の音楽家として、ビートルズに次ぐレコード・セールスを記録するとともに、米国でのコンサートツアーは常に満員であった。彼の楽団の指揮者としては、1963年に一度だけ来日している。通販レコードのご案内GB DECCA SKL4640 マントヴァーニ楽団 時の過ぎ行くまま映画「カサブランカ」の主題曲だった「時の過ぎ行くままに(As Time Goes By)」をはじめ20世紀前半のミュージカル・ナンバーから1960年代のヒット「モア」(映画「世界残酷物語」主題曲)まで、さまざまなレパートリーをマントヴァーニ・サウンドならではのアレンジで聴かせる一枚。原題〝The Incomparable Mantovani And His Orchestra〟は「比類なきマントヴァーニ楽団」というような意味か。1960年代のマントヴァーニの勢いが感じられるタイトルですね。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 通販レコードのご案内GB DECCA SKL4044 マントヴァーニ楽団 コンチネンタル・アンコールムード・ミュージックというジャンルを確立し、絶大な人気を誇ったマントヴァーニ・アンド・ヒズ・オーケストラ。ヨーロッパ各国の人気楽曲を集め、ムード満点のアレンジでまとめたアルバム。「これぞマントヴァーニ」と誰もが納得する傑作アルバムです。カラー写真綴込み見開きジャケット ヨーロッパの名所の美しい写真が綴込みになったジャケットを眺めながらお聴きください。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで オリジナル通販レコードのご案内GB DECCA SKL4118 マントヴァーニ楽団 コンサート・スペクタクラースーザの「星条旗よ永遠なれ」から始まる、誰もが知っているメロディーを巧みにアレンジしたマントヴァーニ・サウンドが満喫できる一枚。パーシー・フェイス楽団の演奏で有名な「夏の日の恋」や「ポルカ雷鳴と電光」などブラスの響きが堪りません。オリジナル盤です。1960年発売。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 通販レコードのご案内GB DECCA SKL4118 マントヴァーニ楽団 コンサート・スペクタクラースーザの「星条旗よ永遠なれ」から始まる、誰もが知っているメロディーを巧みにアレンジしたマントヴァーニ・サウンドが満喫できる一枚。パーシー・フェイス楽団の演奏で有名な「夏の日の恋」や「ポルカ雷鳴と電光」などブラスの響きが堪りません。1969年発売。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで (さらに…)...
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