ウィーン・モダン〜「グレの歌」作曲者であるシェーンベルクが表現したかったのは何だったのか

ウィーン・モダン〜「グレの歌」作曲者であるシェーンベルクが表現したかったのは何だったのか

Arnold Schönberg 1873.9.13-1951.7.13シェーンベルクが没した日(1951年)。19〜20世紀の世紀転換期を生き、同時に調性音楽から無調の音楽へと自身の作風も進化させ、音楽世界を拡張させた。同名の詩の語りとアンサンブルで演奏される《月に憑かれたピエロなど》で知られる。また12音技法という作曲技法を見出し、シェーンベルクや弟子のベルク、ウェーベルンによって受け継がれた。 力強く美しいメータのシェーンベルク。後期ロマン派以降、なかでもとりわけマーラーやシェーンベルクが得意なメータの最高の名演に挙げられるもの。録音当時31、32歳のメータが絶頂期の手兵ロサンジェルス・フィルハーモニックを指揮したもので、LP発売当時各誌・紙で絶賛されました。メータはどのような難解な曲でもやさしく聴かせる特技をもっているとは故柴田南雄氏の言葉ですが、シェーンベルクの代表作、とりわけ《浄夜》の官能性はいかばかりでしょう。 通販レコードのご案内GB DECCA SXL6390 メータ シェーンベルク・室内交響曲第1番 ズービン・メータがロサンゼルス・フィルハーモニックの音楽監督を務めていた16年以上にわたる期間はこの楽団の歴史にとって重要な時期となりました。デッカ・レコードに多くの録音を行い、国際的にも高い知名度を得ました。 オーダーはリンク先の詳細掲載ページで品番 / 34-21189販売価格3,850円(税込) 通販レコードのご案内FR DEC SXL6.325 ズービン・メータ ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団 シェーンベルク・浄夜 イギリスDECCAの超優秀録音もあって、大いに話題になっていた盤。国内ではキング・レコードの発売で、レコードの帯には《若き帝王の記念碑的名盤!その見事な語り口で、現代音楽入門としても最適のアルバム!》とあった。 初期シェーンベルクの調性のあるこの名曲をメータは十八番としていて、2003年にもバイエルン国立管弦楽団と録音しています。この曲が録音当時も今も、後期ロマン派のものだということを如実に示した演奏。よく売れたドル箱スターだったメータは細かいところにはこだわらずひたすら快速なテンポとアッチェレランドを伴った豪快な推進力が素晴らしいです。 各パートのテクスチャは丸みを帯びていて透明感があり、重さもほどよい。ロマンティックが濃い。つらつら思うに、これは夜の音楽。それにしても、「浄夜」のレコード・ディスクには凡演が少ないように思うが、この1967年ロス・フィルとの録音は、カラヤン&ベルリン・フィル盤と並んで代表的な名盤です。 オーダーはリンク先の詳細掲載ページで品番 / 34-19741特別価格1,540円(税込) 若い頃の記録はあまり残っていないが、イタリア留学の後、鍵盤楽器奏者としてフランス各地で活躍したらしい。23歳の時にパリで『クラブサン曲集第1巻』を出版。1722年には大著『和声論」を上梓し、音楽理論家としての名声を得て、ルイ15世治世下のヴェルサイユ宮で、宮廷音楽家としても活躍。フランス楽壇の指導者的立場となった。一方で、音楽理論家でもあったジャン=ジャック・ルソーら急進的な啓蒙主義者からは、守旧的なフランス・オペラの典型だと批判され、ラモーは真っ向からこれに応戦。いわゆる「ブフォン論争」へと発展した。 2年にわたって行われたこの論争は、「旋律(メロディー)」と「和音(ハーモニー)」に優劣をつけようという、かなり無茶な論議を行っていたと言えるでしょう。その2年間の間にラモーやルソーも含め、様々な知識人によって書かれた、61冊にも及ぶ小冊子がパリ中を飛び交いましたが、当然と言うべきか、明快な答は出ないままに終息していきました。 歴史に残る名盤のひとつ、至高の"グレの歌"。 1731年に裕福な音楽愛好家ラ・ププリニエールの私設楽団の音楽監督に就任し、邸宅における音楽の一切をまかされます。ラ・ププリニエールの庇護のおかげで、ラモーは本格的にオペラの作曲に取り組めるようになり、彼が50歳になった1733年に、最初の本格的なオペラとなる(音楽悲劇)《イポリトとアリシー》が上演されました。以後は『優雅なインドの国々』、『カストールとポリュクス』、『ダルダニュス』などのヒット作を次々に世に送り出し、オペラ作曲家としての地位を確立。その生涯に30曲ほどのオペラを作曲しました。 18世紀前半のフランスで流行した「オペラ=バレ」はプロローグに3~5幕の「アントレ」と称するバレエ場面が連続する。漠然としたテーマはあるモノの、明確なストーリーはない。 通販レコードのご案内DE DGG 2726 046 ラファエル・クーベリック シェーンベルク・グレの歌 シェーンベルク初期の作風を集大成した傑作「グレの歌」は、アバドやブーレーズをはじめとした新ウィーン学派の楽曲を得意とした、クーベリックより後の世代の演奏が現代では多く聴かれているかもしれません。実はそれより前の世代では比較的録音が少なく(ストコフスキー&フィラデルフィア管等SP録音があったにせよ)、特に1960年代以前では極端に少ない状況でした。そのような中でドイツ・グラモフォンが収録をしたこのクーベリック盤は現在のおいてもこの曲の代表的な盤のひとつとして価値は非常に高く、当時としてはこの曲を録音するということはかなり思い切った企画であったと思われます。 歴史に残る名盤のひとつ、至高の"グレの歌"。 声楽や独唱者を含むこの曲の録音ではコスト的にも甚大であったことは想像に難く無いですが、録音された1965年当時はシェーンベルクが亡くなってまだ十数年しか経っていない状況を鑑みると、クーベリックやドイツ・グラモフォン陣がいかに力を入れた録音であったのか想像できます。 そしてこの盤が持つ声楽陣の素晴らしい歌唱やクーベリックとバイエルン放送交響楽団の熱演は、今後も録音され続けるであろう「グレの歌」の1ページの最初を飾る名盤として、永く君臨し続けるでしょう。 オーダーはリンク先の詳細掲載ページで品番 / 34-18713特別価格3,520円(税込) ラモーは1764年に貴族に列せられたのち、最後のオペラ《アバリス、または最後の北風の神々》の練習中、81歳で世を去りました。そして、彼の葬儀は国葬として執り行われ、その偉業がたたえられたのです。 やがて保守的だと断じられたフランス・オペラ、中でもトラジェディ・リリックは、啓蒙思想の広がりに伴って昔日の勢いを失い、以後のフランスでは、貴族よりも民衆を対象としたオペラ・バレエやオペラ・コミックが発展していくことになったのでした。 器楽作品の中では、全4巻が刊行された『クラブサン曲集』が特に重要。独特の洒落っ気や感傷に彩られた曲には、時に思わせぶりなタイトルが付されている。例えば、1724年に出版された第2巻の第11曲『やさしい訴え』は、メランコリックな曲調がタイトルにピッタリの佳品。小川洋子はこのタイトルを借りて、残酷にして静謐な雰囲気に満ちた同名の小説を書いた。 (さらに…)...
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