昇華された涙の表現を誘う不滅のアレグレット★フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン・交響曲7番

昇華された涙の表現を誘う不滅のアレグレット★フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン・交響曲7番

不滅のアレグレット ― 第2楽章は、ことによるとクレンペラーを凌ぐかもしれない。心の通いきったヴィオラ、チェロは、これこそ本当の精神の音で曲が盛上るにつれて感動の波が高まり、クライマックスに於ける昇華された涙の表現はフルトヴェングラーの独壇場である。 フルトヴェングラーはブラームスを評して「非常に客観的な音楽家」といい、「音楽における客観とは、音楽と精神、精神と音楽が結び付いてひとつになった時に起こるのである」といっています。この偉大な指揮者はブラームスの音楽は彼の哲学そのものであると喝破したのです。それは、そのままベートーヴェンにも当てはまり。それがドイツの交響曲に対する彼の表現方法なのだろう。  フルトヴェングラーの音楽を讃えて、「音楽の二元論についての非常に明確な観念が彼にはあった。感情的な関与を抑制しなくても、構造をあきらかにしてみせることができた。彼の演奏は、明晰とはなにか硬直したことであるはずだと思っている人がきくと、はじめは明晰に造形されていないように感じる。推移の達人であるフルトヴェングラーは逆に、弦の主題をそれとわからぬぐらい遅らせて強調するとか、すべてが展開を経験したのだから、再現部は提示部とまったく変えて形造るというような、だれもしないことをする。彼の演奏には全体の関連から断ち切られた部分はなく、すべてが有機的に感じられる。」とバレンボイムの言葉を確信しました。これが没後半世紀を経て今尚、エンスーなファンが存在する所以でしょう。しばらくカラヤンを聞き続けた耳には、伝統的なそれは、どんより曇った暗い演奏に聞こえるに違いない。しかし、この曲はカラヤンもフルトヴェングラーの延長線上にいる。  ここでは弦楽器の美しいウィーン・フィルの特質が活き、十分に歌わせ柔らかく艶やかな音色が音楽に寄り添って、第1楽章から明るい響きでウィーン・フィルの魅力一杯。 序奏、響きは柔らかい。木管、ホルンと穏やかに歌いこまれる。ヴァイオリンの静謐な弱音。勢いと音量を増し、ヴァイオリンとコントラバスの高音と低音が明瞭に奏でられる。コントラバスからヴァイオリンへの低音から高音への推移も明瞭。 第1主題、「無からの生成」の間とエレガントな「生成」のすばらしさ。コントラバスのソフトな太さからヴァイオリンの高貴な高音まで、美しいサウンドが過不足なく奏でられてくる。 第1、第2ヴァイオリンの掛合いの鮮明さ。第2楽章のチェロのレガートが美しい。1943年演奏と比べて流れを重視した音楽運び。チェロ、コントラバス共に明晰、明瞭。チェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンの音色も素晴らしい。チェロの音色が圧巻。生々しく艶がある。 第1、第2ヴァイオリン、コントラバスの高音と低音のコントラストのバランス。 第2部「不滅のアレグレット」は、木管群とホルンがソフトにまろやかに歌われる。第3楽章での緩やかに、時にシャープに刻まれるリズム。自然な流れの良さ。トリオ、通奏のヴァイオリンが清々しい。ソフトに堂々と構築されるフォルテシモ。終楽章は速いテンポでも各楽器が瑞々しく細部に至るまで鳴りきっている。 ダイナミックレンジ、ワイドレンジは自然な範囲での最大限。ソフトで厚みのある、そして、ここぞというところで唸りと、うねりを聴かせる低弦。浮揚する伸びのある高域。音色と分離が明瞭で豊かな音。演奏を堪能できフルトヴェングラーが1音1音に込めた意図が余すところなく再現されていく。 通販レコードの案内《仏 ラージ・ドッグ・セミサークル・ラベル銀文字フラット盤》FR VSM FALP30031 フルトヴェングラー ベートーヴェン・交響曲7番 「第7はある意味では最もフルトヴェングラー向きの作品ではないだろうか。たとえばフィナーレだが、この踏み外し寸前の情熱、そのアッチェレランド効果の凄まじさ、オーケストラの生々しい鳴らし方はドラマチックな解釈の最高峰で、かのクレンペラーと両極を成し、立派さにおいてはクレンペラーを、音のドラマにおいてはフルトヴェングラーを採るべきであろう。 第2楽章はことによるとクレンペラーを凌ぐかもしれない。心の通いきったヴィオラ、チェロはこれこそ本当の精神の音で、曲が盛上るにつれて感動の波が高まり、クライマックスにおける昇華された涙の表現はフルトヴェングラーの独壇場である。 その他、第1楽章のものものしい序奏部、スケルツォの前進してやまない運動性も抜群で、緩急自在であり、とくに速い部分のスピード感は圧倒的だ。これに対し、中間部では思い切ってテンポを落とし、ウィンナ・ホルンのフォルテピアノやその後の酔いしれたリタルダンドも強い印象を与える。」と音楽評論家の宇野功芳氏は解説する。 通販レコード詳細・コンディション、価格 FR EMI FALP30.031 – Wilhelm Furtwängler, Wiener Philharmoniker - BEETHOVEN - Symphony No.7レコード番号FALP30.031作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンオーケストラウィーン・フィルハーモニー管弦楽団指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー録音種別MONO販売レコードのカバー、レーベル写真"LARGE DOG IN SEMI-CIRCLE" WITH SILVER LETTERING, MONO FLAT 1枚組(220g), Stamper 21B/21B。ジャケット状態EXレコード状態EX-製盤国FR(フランス)盤通販レコード詳細の確認、特別価格での購入手続きは品番のリンクから行えます。  オーダーは 品番 / 34-7358 特別価格 7,040円(税込) 通常価格 8,800円 「クレジットカード決済」「銀行振込」「代金引換」に対応しております。 (さらに…)...
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クレンペラー フィルハーモニア管 ブラームス 交響曲全集 揺るぎない安定感で作品書法に漂う絶妙な香りを聴かせる。

クレンペラー フィルハーモニア管 ブラームス 交響曲全集 揺るぎない安定感で作品書法に漂う絶妙な香りを聴かせる。

通販レコードのご案内ぶっきらぼうな即物性の中に威厳と風格と古武士の様な外見は無愛想極まりないが、そこにシニカルなブラームスの憧憬と挫折感が胸に浸み込む。GB EMI SLS804 (演奏者)オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 (曲目)ブラームス・交響曲全4曲、悲劇的序曲、大学祝典序曲 EMIレーベルとして英国初出盤。録音は1960年代前半セッション、初出はCOLUMBIA盤ブルー&シルヴァー SAX2***から。フィルハーモニア管も最も充実していた頃の録音でとても60年以上前の録音年は信じ難いオーディオファイル盤。ステレオ感は万全で、クレンペラーの第一、第二ヴァイオリン左右対抗配置がハッキリわかる。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで緩みのない緊張と力に支えられた非常に端正な演奏であり、また力強くまるで大きな建造物を見ている様な錯覚に陥る、この様な表現は、現今の指揮者には望むべきもないと思わせるような、強烈な演奏であり音楽だと思う。1956年から57年にかけての録音で、70歳代になったばかりで気力充実のクレンペラーが残した名演。ゆったりとしているが決して遅くない、緊迫感みなぎるブラームスです。1番、4番はがっちりとした構築性の高い名演として名高いですが、ロマンあふれない2番、3番も非常にユニーク。ブラームス素晴らしさを違った角度で見せてくれるステレオ最初期の名盤です。 オーケストラの配置が第一ヴァイオリンと第ニヴァイオリンが指揮者の左右に配置される両翼配置とか対抗配置とか言う、古いスタイルで、左右に分かれた第一、第二ヴァイオリンのかけあいや中央左手奥に配置されたコントラバスの弾みのある低音が極めて効果的に働いていて、包み込まれるような感覚はステレオ録音で聴く場合には、やはり和音の動きなどこの配置の方が好ましい。ゆったりとしたテンポをとったのは、透徹した目でスコアを読み、一点一画をおろそかにしないようにしていることで隠れていた音符が一音一音浮かび上がってきます。この気迫の籠った快演は聴き手に感動を与えずにはおきません。フィルハーモニアは、まさにクレンペラーの為にレッグが作り出した楽器だと言う事、しみじみと感じました。 英EMIの偉大なレコード・プロデューサー ウォルター・レッグは、1954年に目をかけていたカラヤンがベルリンに去ると、すぐさま当時、実力に見合ったポストに恵まれなかったクレンペラーに白羽の矢を立て、この巨匠による最良の演奏記録を残すことを開始した。このレッグが理想とした、クラシック音楽の基準となるレコード盤をつくるという大仕事は、彼がEMIを去る1963年までクレンペラー&フィルハーモニアによって夥しい数が生み出されました。この時代はモノーラル・テイクとステレオ・テイクが同時進行していました。モノーラルはダグラス・ラター、ステレオはクリストファー・パーカーと、それぞれ違うプロデューサーが担当していました。 recorddate:1956年10月、1957年3月(1番)/1956年10月(2番)/1957年3月(3番)/1956年11月、1957年3月(4番), recordsession:ロンドン、キングズウェイ・ホール, p&e:クリストファー・パーカー, addition:優秀録音、名演、名盤、解説書付き 通販レコード詳細・コンディション、価格 プロダクトレコード番号SLS804作曲家ヨハネス・ブラームスオーケストラフィルハーモニア管弦楽団指揮者オットー・クレンペラー録音種別STEREO 販売レコードのカバー、レーベル写真 コンディションジャケット状態EXレコード状態EX++製盤国GB(イギリス)盤COLOR STAMP DOG, EMIレーベルとして初出, STEREO 4枚組 (150g/140g/150g/130g), Stamper 15G/9G 5G/12G 15G/11G 6G/5G通販レコード詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。オーダー番号34-20719販売価格13,200円(税込) (さらに…)...
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リハーサル盤付き*カラヤン美学の徹底した カラヤン指揮ベルリン・フィル モーツァルト・後期6大交響曲集

リハーサル盤付き*カラヤン美学の徹底した カラヤン指揮ベルリン・フィル モーツァルト・後期6大交響曲集

カラヤンのモーツァルト演奏のスタイルは変化することはなかった。 カラヤンとベルリン・フィルのモーツァルトで、《ハフナー》、《リンツ》、《プラハ》、39番、40番と《ジュピター》は二種類あるが、引き締まったモーツァルトを聞きたいか、ゴージャスで華やかなサウンドを楽しみたいか。好みで選んで聞くのが良いが、名手の揃ったベルリン・フィルの木管楽器を楽しむにはEMI盤が勝る。優美に磨かれた、華麗なモーツァルト。カラヤン美学の徹底した演奏です。スケールの大きな中にも美しさがちりばめられ、この上なく心地の良い響き。ベルリン・フィルとカラヤンの見事なコラボレーションが生み出した、不朽不滅のモーツァルト後期交響曲集をここに聴くことができます。  録音場所はイエス・キリスト教会で、1970年9月に行なわれた。この時期、カラヤンとベルリン・フィルのコンビはEMIと、ドイツ・グラモフォンで旺盛に録音を行った。よく知られているように、ダーレム地区の騒音問題などもあって、カラヤンのベルリンでの録音拠点は、1973年からベルリン・フィルハーモニーに移りますが、このモーツァルト後期交響曲集と、ブルックナーの第4番&第7番、チャイコフスキーの後期交響曲集に関しては非常に短い期間で録音場所を違えて再録音をおこなっているのです。  1970年当時のカラヤンは、イエス・キリスト教会の豊かな響きを存分に生かした分厚く豊麗なサウンドを志向していましたが、5年後の録音場所は、ベルリン・フィルハーモニーに移って精悍なモーツァルトを聞かせている。単なる再録音ということになりますので、5年という短い期間にカラヤンの嗜好が変化したことを十分に窺わせます。こちらが一般的にはカラヤンのモーツァルトだろう。 通販レコードのご案内リハーサル盤付き4枚組初版です。《英モノクロ切手盤、初発》GB EMI SLS809 カラヤン モーツァルト・後期6大交響曲集 カラヤン&ベルリン・フィルによるモーツァルト:後期6大交響曲集。同コンビで1975~1977年にはDGGからもリリースされたときは驚きをもって迎えられたとのことですが、EMI盤がダーレムのイエス・キリスト教会での録音、DGG盤がフィルハーモニーザールでの録音ということで、サウンドの傾向には大きな違いが見られます。  本盤はイエス・キリスト教会の豊かな響きを存分に生かした分厚く豊麗な仕上がりとなっています。4枚組ですが、4枚目は(第39番、40番、41番の)リハーサルが収録されており、カラヤンがどのように音楽を作っていったのかが、よくわかります。カラヤン&ベルリン・フィルの録音は星の数くらい沢山あるが、ベルリン・フィルの実力を最高に引き出しているという点では当盤も最右翼でしょう。ベルリン・フィル伝統のアンサンブルは健在で他に得られない圧倒的なものです。1970年9月ベルリン、イエス・キリスト教会での録音、リーフレット付属。 通販レコード詳細・コンディション、価格 Wolfgang Amadeus Mozart, Herbert von Karajan, Berliner Philharmoniker ‎– The Last Six Symphoniesプロダクトレコード番号SLS809作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトオーケストラベルリン・フィルハーモニー管弦楽団指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン録音種別STEREOWHITE & BLACK STAMP DOG, STEREO 4枚組(110g/130g/130g/130g), Release 1971, Stamper 2G/2G 1G/1G 2G/2G 1G/3。 販売レコードのカバー、レーベル写真 コンディションジャケット状態EXレコード状態EX++製盤国GB(イギリス)盤《モノクロ切手 白枠》セミサークルレーベルのニッパー君の部分が四角い縁取りで囲まれ、ちょうど切手(スタンプ)のように見えるためです。このスタンプ・ニッパー・ラベル(ER3)は、郵便切手が白黒(モノクロ)になります。番号で見ると、ASD2470 あたりから 2750 あたり まではカラー・ニッパーがオリジナルでこれ以降は、モノクロのニッパーが初版ということになるらしい。この、ASD シリーズの半円ニッパーとスタンプ(カラー、モノクロ両方とも)ニッパーの LP は盤自体のクオリティがとても高く、ばらつきも少なく優秀なプレス技術といえます。通販レコード詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。 オーダーは 品番 / 34-25163 販売価格 8,800円(税込) 「クレジットカード決済」「銀行振込」「代金引換」に対応しております。 (さらに…)...
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楽曲そのものに語らせるかのようにふくよかで、情感を前面に打ち出した ベーム ウィーン・フィル ブラームス 交響曲全集

楽曲そのものに語らせるかのようにふくよかで、情感を前面に打ち出した ベーム ウィーン・フィル ブラームス 交響曲全集

通販レコードのご案内巨匠ベームが慈しんで演奏し続けてきたブラームスの、初の全曲盤。1976年度レコード・アカデミー賞受賞盤JP DGG MG8194/7 (演奏者)カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニア管弦楽団 (曲目)ブラームス 交響曲全集 齢80近くになって幾度も来日していた老マエストロ、ベーム、同時期活躍していた帝王カラヤンに対抗する存在として、巷間、動と静、華麗と堅実、スポーツカーとクラシックカーといったような比較が言われていたの記憶していますが、ドイツ音楽の神髄を追求し続けて熟成された指揮に溜飲を下げるセットである。第1番第1楽章の序奏部における壮大な力感表出などさすがですが、一方で、第4番では、晩年のベームならではの渋味を含んだ味わいのある情感が深い感動を呼び起こします。ウィーン・フィルの響きも充実した美しいもので、名コンマス、ゲアハルト・ヘッツェルによる第1番第2楽章の甘美なヴァイオリン独奏や、独特の濃厚な音色の木管ソロのなど、ムジークフェラインザールならではのトゥッティの素晴らしい響きと相まってトータルな魅力を実感させてくれます。録音場所は総てウィーンのムジークフェラインのグローサー・ザールで優れた残響まで余すことなく刻まれています。詳細掲載ページ2019年に生誕125周年を迎えたオーストリアの巨匠指揮者カール・ベーム。日本には1963年ベルリン・ドイツ・オペラと共に初来日、その後はウィーン・フィルやウィーン国立歌劇場と共にたびたび来日し、空前の反響を呼んだというベーム&ウィーン・フィル初来日公演の直後、1975年の5~6月にウィーンのムジークフェラインザールでセッション・レコーディングされたもので、日本でも年内に緊急発売されて1976年度レコード・アカデミー賞を受けるなど各方面から絶賛された名盤です。その出来たるや、ベームらしい揺ぎない構築力を示す堂々たる演奏内容で、オーケストラがウィーン・フィルということもあって、どっしりしたフレームの中で、楽員がニュアンス豊かな音楽を展開する様子は実に魅力的。録音:第1番1975年5月5,6日、第2番1975年5月6,7日、第3番1975年6月2,4日、第4番1975年5月9日ウィーン・ムジークフェラインザール 通販レコード詳細・コンディション、価格 プロダクトレコード番号MG8194/7作曲家ヨハネス・ブラームスオーケストラウィーン・フィルハーモニー管弦楽団指揮者カール・ベーム録音種別STEREO 販売レコードのカバー、レーベル写真 コンディションジャケット状態M-レコード状態M-製盤国JP(日本)盤1976年発売, 日本ポリドール製初期BLUE LINE 国内初出, STEREO 4枚組(130g), ドイツDGG同一スタンパー 2563 *** S3 使用盤通販レコード詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。オーダー番号34-26985販売価格5,500円(税込) (さらに…)...
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DGGに無い魅力が本盤に有る*カラヤン指揮ベルリン・フィル ドヴォルザーク・新世界より、スメタナ・モルダウ

DGGに無い魅力が本盤に有る*カラヤン指揮ベルリン・フィル ドヴォルザーク・新世界より、スメタナ・モルダウ

決して手抜きをしないのがカラヤンと完璧主義者のレッグ・コンビが生み出した陶酔。理想的なレコード・サウンド! スタイリッシュなドヴォルザークの《新世界より》です。  この名曲はドヴォルザークの交響曲第9番ですが、レコード盤のラベル面、レコード・カバー裏のライナーを見ればわかりますが、交響曲第5番と表記されています。カラヤンは DGG でも同曲をレコード発売しますが、それでは「第5(9)番」と初版では印刷されている。  ドヴォルザークの原典版がチェコ国内では整備され始めていましたが、国際版で作品番号の変更が行われるようになった時期だったから、まだローカル色がどうこうという状態じゃなかった。カラヤンがつくる洗練されたスタイルこそがドヴォルザークの一般音楽ファンに浸透させるのには大きな働きとなったと信じている。 カラヤンは同曲を何度も録音しており、EMIだけで2回録音していますが、これは1957-58年の旧録音で、カラヤン壮年期のベルリン・フィル就任3年目のセッション。カラヤンの英国コロムビア/EMI録音は基本的にフィルハーモニア管弦楽団ですが、これは珍しいベルリン・フィルとの録音。  この時期、DGG 専属だったベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と EMI への録音が始まる。レッグが EMI から去るのも間近と思われていたこの頃で、カラヤンの DGG 移籍のための手切れ金替わりとされる。懐疑的な思いを EMI はステレオ録音に持っていて、一方ではステレオ録音をしたいというカラヤンの強い希望を持っていて。その条件として EMI の提案がベルリン・フィルを指揮しての《新世界より》だったのだろう。  英コロムビア時代のカラヤンの指揮は殆どがフィルハーモニア管弦楽団ですが、本盤はコロムビア時代には大変珍しいベルリン・フィルハーモニーとの組み合わせ。《新世界より》には、フィルハーモニアでレコードを発売するよりも「ベルリン・フィルが EMI に初登場!」の効果は大きかっただろう。だったらステレオ盤で発売しても成果はあると算用したと思う。同じ日にヒンデミットの《画家マチス》も録音している。後に《モルダウ》を組み合わせる変更になったのかと想像する。 通販レコードのご案内昭和37年発売の日本コロムビア盤。JP COLUMBIA RS-3008 カラヤン ベルリン・フィル ドヴォルザーク:交響曲9(5)番「新世界より」、スメタナ:交響詩「モルダウ」英 EMI の偉大なレコード・プロデューサー ウォルター・レッグは戦後ナチ党員であったとして演奏を禁じられていたカラヤンの為に、レッグ自ら1945年に創立したフィルハーモニア管弦楽団を提供し、レコード録音で大きな成功を収めた。1954年にドイツ音楽界に君臨していたフルトヴェングラーの急逝にともない、翌55年にカラヤンは、ついにヨーロッパ楽壇の頂点ともいえるベルリン・フィルの首席指揮者の地位に登りつめた。ここでレッグとカラヤンの関係は終止符を打つが、この約10年間に残したレッグ&カラヤン&フィルハーモニアのレコードの数々は、正に基準となるようなレコードであったと断言出来ると思います。演奏はオーケストラに合奏の完璧な正確さを要求し、音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルで、完全主義者だったレッグとうまが合ったのは当然といえば当然で、出来栄えも隙が無い。決して手抜きをしないのがカラヤンの信条であったという。DGG盤にない魅力が本盤には有ります。英コロムビア時代のカラヤンの指揮は殆どがフィルハーモニア管弦楽団ですが、本盤はコロムビア時代には大変珍しいベルリン・フィルハーモニーとの組み合わせ。記憶では本盤含めて2枚しかないと思います。1959年初発盤。■録音年月日:1957年11月28・29日、58年1月6・7日(新世界から)、5月18~20日(新世界から、モルダウ) ■録音場所:グリュンネヴァルト教会、ベルリン ■録音:ステレオ ■スタッフ:P:ウォルター・レッグ、E:ホルスト・リントナー 通販レコード詳細・コンディション、価格 録音秀逸オーディオファイル盤なのは言うまでもない。録音された時代と同じ空気を感じられるのが初期盤収集の楽しみを十二分に与えてくれる名盤です。プロダクトレコード番号RS-3008作曲家アントニーン・ドヴォルザークオーケストラベルリン・フィルハーモニー管弦楽団指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン録音種別STEREO1962.2発売日本コロムビア製ターコイズレーベル国内初出, STEREO 1枚組 155g 重量盤, 英国COLUMBIA同一スタンパー YRX 使用盤。 販売レコードのカバー、レーベル写真 コンディションジャケット状態M-レコード状態M-製盤国JP(日本)盤LP黎明期の息吹が聴こえてきそうな程よく還暦迎えたような訂装、骨董盤としては奇跡的。60年前製造盤とは思えません。レーベル・ガイド 日本コロムビア社社史によると同社クラシック・レコードの歴史は、英コロムビア(EMI)、米コロムビア(CBS)から原盤の供給、それを国内盤として発売して生業立ててきました。 当時の日本国内情勢では米英からの供給代理店変更は当たり前、例として1960年に東芝音楽工業株式会社が設立され、1962年には英コロムビアとの契約を終了。さらに1968年には、CBSソニーレコード株式会社が設立。同年6月末日をもって、米コロムビアとの原盤供給使用契約が終結。これによって日本コロムビアは、EMIとCBSという二大メジャーレーベルの国内発売権喪失干されてしまいます。二大レーベルを失ったことにより、日本コロムビア社洋楽部門は、必然的に自主制作の道をたどって行くことなります。基本的に日本コロムビア社の製作は版権手放す1968年以前になります。 個人的にはマスターテープが移籍後のCBS/SONY制作盤より新鮮な時制作されている所為か、同じワルター、セル、バーンスタイン等々指揮者からブダペスト四重奏団などの室内楽問わず中域厚く好んで聞きますが、今となっては日本コロムビア盤は半世紀以上前の製造でニアミント盤探すのには苦労しています。オーダー・リンクと販売価格詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。  オーダーは 品番 / 34-27118 販売価格 2,750円(税込) (さらに…)...
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クラシック名録音106究極ガイドが選んだ◉ゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ響 ベートーヴェン・交響曲9番「合唱」

クラシック名録音106究極ガイドが選んだ◉ゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ響 ベートーヴェン・交響曲9番「合唱」

通販レコードのご案内嶋護・著「クラシック名録音106究極ガイド」でも紹介されています。GB DECCA 6BB121/2 (演奏者)ゲオルグ・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団 ピラール・ローレンガー イヴォンヌ・ミントン スチュアート・バロウズ マルッティ・タルヴェラ (曲目)ベートーヴェン・交響曲9番「合唱」 ショルティは、1972年5月から1974年9月にかけて、シカゴ交響楽団を指揮して初のベートーヴェンの交響曲全集を録音しました。さらに、その後1986~89年にも再録音がなされていますが本セットは前者。ショルティならではの筋肉質な演奏で、ヨーロッパ的気品を持たない無骨な演奏がかえって刺激的な魅力を生み出している唯一無二のオーディオファイル盤に仕上がっている名盤で米国THE ABSOLUTE SOUND誌所謂TAS推薦盤としても高名。それもケネス・ウィルキンソンとゴードン・バリーが録音エンジニア務めているから当然言えば当然、オーディオルームがホールと化します。1972年5月シカゴ、イリノイ大学クランナートセンター録音、P&E:ケネス・ウィルキンソン、ゴードン・パリー&デヴィッド・ハーヴェイ詳細掲載ページ半世紀にわたり一貫してDECCAに録音し数々の名盤を遺した重要なアーティストであり続けた。そのレパートリーは多岐にわたり、バッハからショスタコーヴィチまで幅広く網羅。おそらく有名交響曲作家で1曲もやっていないのはシベリウスぐらいではないか。ショルティは、1972年5月から1974年9月にかけて、シカゴ交響楽団を指揮して初のベートーヴェンの交響曲全集を録音しました。さらに、その後1986~89年にも再録音がなされています。それ以前、1950年代に録音されたロンドン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン・フィルとのレコードは全集に至っていませんでした。特に5、7、9番は2回目の全集より力強さとアグレッシブさが前面に出ており、より良い。この説得力は、英デッカ社の巧みなノウハウに負うところ大だと思います。エンジニアは英デッカの大御所ケネス・ウィルキンソンと弟子のジェームス・ロック。3つの会場を使った彼らの録音にありがちな事情ですが統一感があり、一番状態が良いのが第9番で、響きを抑えて明瞭感と質感を確保し、締まりのある中低域が気持ちよく響く仕上がり。 地鳴りする音が刻まれているのは当然か、とにかく凄まじい演奏。冒頭からただならない気配が支配し、その空気が全曲を覆う。オーケストラの響きは深々としていて実在感があり、息の長い旋律には生命感が漲り、押しと引きの対比も鮮やかで精鋭シカゴ響のもつ驚異的な表現力の幅がいかんなく発揮されています。ショルティのイメージから聴き始めはマッシブでガチガチに硬派な演奏で、しなやかさに欠ける演奏になるかと思いきや、単にオーケストラを煽るだけではなくて ― あるいは自らの底にあるロマンチズムが目覚めたからなのか ― オーケストラ共々非常に共感に満ち、時にロマンティックなうねりすら聴かせるのですが、それが類い希なほどの説得力を持って聴き手に迫ってきます。 来日時のベートーヴェンに感心したことを思い出させる、ただし推進力のあるだけの爆演ではなく、非常に生真面目な演奏でスコアに書かれた一つ一つの音を大事にしたベートーヴェンである。ショルティの音楽の特性は硬派、豪快、ダイナミックで、甘えのない厳格かつ躍動感に溢れる演奏。その反面 、比類なき生彩に満ち満ちた輝きを放つ。早いテンポでオーケストラを煽り、楽器を鳴らしまくるため聞き逃されてしまうが、対位法などのオーケストレーションを含む曲の構造に留意し精緻なアンサンブルを要求するといった論理的なアプローチも特色の一つで、完全主義者といわれる所以でもある。サー・ゲオルク・ショルティならではの筋肉質な演奏で、鮮やかに浮かび上がるベートーヴェンの交響曲特有のフォルムの美しさや堅牢さを味わえる。 通販レコード詳細・コンディション、価格 プロダクトレコード番号6BB121/2作曲家ルードウィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン演奏者ピラール・ローレンガー イヴォンヌ・ミントン スチュアート・バロウズ マルッティ・タルヴェラオーケストラシカゴ交響楽団指揮者ゲオルグ・ショルティ録音種別STEREO 販売レコードのカバー、レーベル写真 英国デッカプレスED4 original, NARROW BAND ED4, STEREO2枚組 (140g), Release 1972, Stamper 3W/4W/4W/3W.コンディションジャケット状態EXレコード状態EX++製盤国GB(イギリス)盤通販レコード詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。オーダー番号34-27331販売価格3,300円(税込) (さらに…)...
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リハーサル盤付き*カラヤン美学の徹底した カラヤン指揮ベルリン・フィル モーツァルト・後期6大交響曲集

リハーサル盤付き*カラヤン美学の徹底した カラヤン指揮ベルリン・フィル モーツァルト・後期6大交響曲集

カラヤンのモーツァルト演奏のスタイルは変化することはなかった。 カラヤンとベルリン・フィルのモーツァルトで、《ハフナー》、《リンツ》、《プラハ》、39番、40番と《ジュピター》は二種類あるが、引き締まったモーツァルトを聞きたいか、ゴージャスで華やかなサウンドを楽しみたいか。好みで選んで聞くのが良いが、名手の揃ったベルリン・フィルの木管楽器を楽しむにはEMI盤が勝る。優美に磨かれた、華麗なモーツァルト。カラヤン美学の徹底した演奏です。スケールの大きな中にも美しさがちりばめられ、この上なく心地の良い響き。ベルリン・フィルとカラヤンの見事なコラボレーションが生み出した、不朽不滅のモーツァルト後期交響曲集をここに聴くことができます。  録音場所はイエス・キリスト教会で、1970年9月に行なわれた。この時期、カラヤンとベルリン・フィルのコンビはEMIと、ドイツ・グラモフォンで旺盛に録音を行った。よく知られているように、ダーレム地区の騒音問題などもあって、カラヤンのベルリンでの録音拠点は、1973年からベルリン・フィルハーモニーに移りますが、このモーツァルト後期交響曲集と、ブルックナーの第4番&第7番、チャイコフスキーの後期交響曲集に関しては非常に短い期間で録音場所を違えて再録音をおこなっているのです。  1970年当時のカラヤンは、イエス・キリスト教会の豊かな響きを存分に生かした分厚く豊麗なサウンドを志向していましたが、5年後の録音場所は、ベルリン・フィルハーモニーに移って精悍なモーツァルトを聞かせている。単なる再録音ということになりますので、5年という短い期間にカラヤンの嗜好が変化したことを十分に窺わせます。こちらが一般的にはカラヤンのモーツァルトだろう。 通販レコードのご案内リハーサル盤付き4枚組初版です。《英モノクロ切手盤、初発》GB EMI SLS809 カラヤン モーツァルト・後期6大交響曲集 カラヤン&ベルリン・フィルによるモーツァルト:後期6大交響曲集。同コンビで1975~1977年にはDGGからもリリースされたときは驚きをもって迎えられたとのことですが、EMI盤がダーレムのイエス・キリスト教会での録音、DGG盤がフィルハーモニーザールでの録音ということで、サウンドの傾向には大きな違いが見られます。  本盤はイエス・キリスト教会の豊かな響きを存分に生かした分厚く豊麗な仕上がりとなっています。4枚組ですが、4枚目は(第39番、40番、41番の)リハーサルが収録されており、カラヤンがどのように音楽を作っていったのかが、よくわかります。カラヤン&ベルリン・フィルの録音は星の数くらい沢山あるが、ベルリン・フィルの実力を最高に引き出しているという点では当盤も最右翼でしょう。ベルリン・フィル伝統のアンサンブルは健在で他に得られない圧倒的なものです。1970年9月ベルリン、イエス・キリスト教会での録音、リーフレット付属。 通販レコード詳細・コンディション、価格 Wolfgang Amadeus Mozart, Herbert von Karajan, Berliner Philharmoniker ‎– The Last Six Symphoniesプロダクトレコード番号SLS809作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトオーケストラベルリン・フィルハーモニー管弦楽団指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン録音種別STEREOWHITE & BLACK STAMP DOG, STEREO 4枚組(110g/130g/130g/130g), Release 1971, Stamper 2G/2G 1G/1G 2G/2G 1G/3。 販売レコードのカバー、レーベル写真 コンディションジャケット状態EXレコード状態EX++製盤国GB(イギリス)盤《モノクロ切手 白枠》セミサークルレーベルのニッパー君の部分が四角い縁取りで囲まれ、ちょうど切手(スタンプ)のように見えるためです。このスタンプ・ニッパー・ラベル(ER3)は、郵便切手が白黒(モノクロ)になります。番号で見ると、ASD2470 あたりから 2750 あたり まではカラー・ニッパーがオリジナルでこれ以降は、モノクロのニッパーが初版ということになるらしい。この、ASD シリーズの半円ニッパーとスタンプ(カラー、モノクロ両方とも)ニッパーの LP は盤自体のクオリティがとても高く、ばらつきも少なく優秀なプレス技術といえます。通販レコード詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。 オーダーは 品番 / 34-25163 販売価格 8,800円(税込) 「クレジットカード決済」「銀行振込」「代金引換」に対応しております。 (さらに…)...
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ロシア戦勝曲の評判 初演では大砲を鳴らしたかったチャイコフスキー、祖父の国はウクライナ、そして彼はロシア人

ロシア戦勝曲の評判 初演では大砲を鳴らしたかったチャイコフスキー、祖父の国はウクライナ、そして彼はロシア人

〝バトル・ステレオ〟とも題されていた本盤。ブラス系ポピュラー・ミュージシャンだったボブ・シャープルズによる、ダイナミックで克明なサウンドを楽しめる。〝フェイズ4ステレオ〟は、1963年にデッカ・アメリカが開発した録音方式。20チャンネルのマルチ・マイク・システムで収録した音を、特別なミキサーを通してアンペックスの4トラック・レコーダーで録音、2チャンネルのステレオにミックスダウンするというものでした。クラシック音楽のLPは1964年に初めて発売され、その後約200枚のフェイズ4方式録音によるクラシックLPが制作されています。 通販レコードのご案内《英プレス、Decca Phase4、オリジナル》GB DECCA PFS4044 ロバート・シャープルズ ロンドン祝祭管弦楽団 チャイコフスキー・1812 英DECCAが開発した4チャンネルステレオ再生システム、〝Phase4ステレオ〟は、1963年にデッカ・アメリカが開発した20chマルチ録音を4トラックに収録するという、当時としては画期的な録音方式でした。その後ヨーロッパへもデッカはこの方式を取り入れ、クラシック音楽のLPは1964年に初発売され約200枚のクラシックLPが〝Phase4〟で発売されました。DECCAでは1960年代前半からSXLと並行して、PFSという番号でCONCERT SERIESを出版していた。SXLと同等のプレス。指揮者はSXLシリーズに属さない人々ではあったが、モントゥーやストコフスキーといった大物指揮者が登場。どちらかと言えばデモンストレーション的傾向があったとは言え、無視するには惜しい録音が多い。  ヴィオラとチェロのソロが奏でる正教会の聖歌「神よ汝の民を救い」にもとづく序奏に始まり、以後木管群と弦楽器群が交互に演奏する和音の強奏で序奏を終えると、ロシア軍の行進が近づいてくる。この部分はボロジノ地方の民謡に基づくといわれている主題。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の旋律をホルンが演奏するのをきっかけに、金管楽器群が激しい咆哮、戦闘が始まる。「大砲」がフランス軍を撃退すると、教会の鐘が一斉に鳴り渡り、「大砲」は祝砲に変わり戦争の終わりを告げる。  最初の録音ははっきりしていないが、1903年にビクター・グランド・コンサート・バンドが、1909年にアーサー・プライヤーが自身のバンドとともにビクタートーキングマシンのために吹き込んだ記録があり、英デッカからステレオ・レコード第1号盤(SXL2001)として発売されたのが、ケネス・アルウィン指揮ロンドン交響楽団演奏の録音でした。  ブラス系のポピュラー・ミュージシャンであるボブ・シャープルズ指揮による本盤も、よく知られたメロディーが続く《くるみ割り人形》共々、マルチ・マイク録音によるダイナミックで克明なサウンドを楽しむことができます。  このチャイコフスキーの大序曲《1812年》は、グレナディア・ガーズ軍楽隊が参加し、実際の大砲までぶっぱなす、最高にスペクタクルな演奏。FFSSをキャッチ・フレーズとして、自社のステレオ録音の優秀性をアピールする先導役のような盤でした。  1958年5月1日録音、この日が記念すべきFFSS STEREO録音栄華の幕開けとなったことは言うまでもない。この後デッカ社は、エルネスト・アンセルメ、マントヴァーニ・オーケストラ等で収益を積み重ね、大作「ニーベルングの指環」をサー・ゲオルグ・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で完成したのは周知の事実。当盤は1963年プレスで、SXL ED2と同等。SXL的世界を体験できる。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで  2020年に生誕180周年を迎えたピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~1893年)の音楽は、私たちの心に寄り添う音楽。時に甘く、時に悲しく、深く、語りかけるその音楽は、子どもから大人まで聴く者の心をとらえて離しません。チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」ほど色彩豊かなドラマを感じて弾ける曲はないと思います。出だしから自分が主人公になった気分で興奮したり、感動したり、嘆いたり、チャイコフスキーのメロディの中にはポエムがあります。日本の歌にも寂しげな懐かしさがあるので、私たち日本人も強く共感できるのかもしれません。  そして、愛の喜びと悲しみ、人間の運命との闘い、信教上の心の動きなど。チャイコフスキーは、難解なロシアの民謡・文化をベースにしながらも、その上で色々なテーマを万国共通に分かりやすく曲にできる人でした。 デッカのステレオ録音最初期の優秀録音・名盤です。通販レコードのご案内GB DECCA ECS703 ショルティ/パリ音楽院管弦楽団 イスラエル・フィル チャイコフスキー 交響曲第2番「小ロシア」 デュカス:魔法使いの弟子「リング」でその名前が一躍グローバルになる直前、1950年代のショルティを代表する名演。ショルティとカルーショーの結びつきは、一般にはワーグナー「ニーベルングの指輪」全曲録音の偉業を成し遂げた二人、という側面でよく知られている。だが実際にはそれだけではなく、カルーショーはショルティについて『ヴィクター・オロフとの最初の一枚以外は、何か理由があったり多忙だったりしたときを除いて、すべて私が彼と一緒に仕事をしていた』と述べている。以後、デッカ時代におけるショルティとの最後の仕事とされるヴェルディ「レクイエム」を制作した1967年10月まで、カルーショーとショルティの長い関係が続いた。  1950年代にデッカはパリ音楽院管とよく仕事をしており、モントゥー、マルティノン、ヴォルフらがフランスものやロシアもののレパートリーを録音していた。「小ロシア」の録音はパリのラ・メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテで響きは多くなく直接音が入っている。同時期に5番も録音されている。ショルティがこの曲を録音しようとした時、リハーサルと本番で主席奏者が入れ替わったり、兵役で4人の奏者が交代したりとトラブルはあったが、この時期ならではの若々しいショルティの息吹がグイグイと伝わって来る快演です。「小ロシア」は、チャイコフスキーの後期交響曲以外ではよく録音されていた。  チャイコフスキーの生きた19世紀は民族主義運動の勃興の時代。オーストリアの音楽家が毎年訪れていた音楽界、我が国ロシアこそと、音楽芸術の世界では民族主義的な音楽が持て囃されていたのでした。若いチャイコフスキーが数々のウクライナ民謡を単に引用するのではなく、交響曲の骨子となる全曲の主題として採用したことに、これからの音楽のあり方を模索していた五人組の新進作曲家たち ― バラキレフ、ボロディンやリムスキー=コルサコフなども絶賛した、この交響曲第2番は、作曲家ではなく当時活躍していた評論家によって「小ロシア」というニックネームが与えられている。大変にウクライナ色の強い交響曲ということで「小ロシア」というタイトルなのですが、ウクライナ国に対する蔑称的色合いがあるとのことで近時は「ウクライナ」と記載することが多くなっている。  この曲の文脈においては、「小ロシア」という言葉には、純粋にロシアの親戚のような国という意味でしかありません。有名な後期三大交響曲に知名度においては遠く及びませんが、西欧音楽理論の粋である、優れた管弦楽法をマスターしていた作曲家チャイコフスキーの交響曲、両端楽章にあらわれるロシア臭たっぷりのメロディーに惹かれる。管楽器が大活躍の耳へのご馳走様。メロディたっぷりの楽しい音楽。ウクライナ系3代目ロシア人チャイコフスキーの作曲。三つの実在のウクライナ民謡が取り込まれている、全曲に祖父の国への親愛の情に溢れています。全曲民謡風の親しみやすい歌えるメロディの宝庫なのです。フィナーレはウクライナ民謡「鶴」を主題として展開してゆく大いなる交響楽章。金管楽器の派手な響きや管楽器の妙などが曲を支配していて、いわゆる深みがない分だけ、純粋な音楽的愉悦を味わえる音楽です。ショルティ盤では他では絶対に聴けないような歌い回しに酔いしれました。英国デッカ社では、この時期、ショルティと関係良好だったウィーン・フィルと後世に語り継がれるオペラを、ウィーンのソフィエンザール(カルーショーがお気に入りだったリング収録場所)で次々と録音している。その一方でその録音セッション合い間に英国のオーディオファイルに向けて、ロンドン響やイスラエル・フィルと有名管弦楽曲の録音も目論んでいた。1957年にデッカはイスラエル・フィルとの録音を開始し、その最初がショルティ指揮のセッションだった。テル・アヴィヴから車で45分もかかるリション・ル・ジオン村にある映画館で録音された。ショルティの指揮する曲は概して大胆さや迫力で押し切る傾向が有りますが、何故かイスラエル・フィルを振るとそこに丁寧さとかつ美しいが加わるから不思議です。例えれば、怒濤のような旋律の中で、ぱっと花が咲くように美しいメロディーが流れる。この点にかけては、ショルティは見逃さず見事に再現している。言い換えればダイナミックレンジが広いとでもいえましょうか、ジョン・カルーショーの意図したものが再現されていると言ってもよいかも知れません。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 暗い運命との闘争から勝利へ、というベートーヴェンの交響曲第5番にヒントを得て書かれた「私たちの交響曲」。 通販レコードのご案内《英プレス、ワイドバンドED3盤》GB DECCA SXL6428 ヴィシネフスカヤ&ロストロポーヴィッチ ブリテン&チャイコフスキー歌曲集 ショスタコーヴィチにも愛されたロシア・オペラ界きってのソプラノ歌手であるガリーナ・ヴィシネフスカヤ(Галина Павловна Вишневская 、ガリーナ・パーヴラヴナ・ヴィシュニェーフスカヤ、1926年10月25日 - 2012年12月11日)は、1952~174年までボリショイ劇場のソリストとして活躍し、私生活では55年にムスティスラフ・ロストロポーヴィチと結婚。70年にロストロポーヴィチが反体制派作家のソルジェニーツィンを擁護して当局から国内外の演奏活動を妨害されると、74年に国外へ脱出した夫に同行。やがて首都ワシントンに暮らすようになり、78年には二人ともソ連国籍を剥奪されるも、1990年にゴルバチョフ政権下の祖国へ帰国。その後は、後進の育成にあたる一方で、夫とともに子どもの医療改善を目指すビシネフスカヤ=ロストロポーヴィチ財団を設立して現在に至っています。  ピアノの名手でもあった夫を伴奏に迎え、彼女のレパートリーの中核をなすチャイコフスキーの歌曲と、ブリテンが彼女のためにロシア語で書いた歌曲。彼女自身が「私の人生で最も重要な録音プロジェクト」と語る歴史的名演が、本盤です。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで  セルとクリーヴランド管弦楽団とも違って、セルがロンドン交響楽団に客演した演奏にはすごみが増す。ピアノ付き交響曲とも言われるブラームスのピアノ協奏曲。ピアノ協奏曲というよりは交響曲という佇まい、風格を持った曲だ。  シンフォニーの前奏を想起させる冒頭から指揮者の尋常でない気迫が伝わってきます。この曲は、第一楽章がほぼ総ての曲の革新であるので、ここをどのように解釈し演奏するかに曲全体の成功の正否が掛かっていると言ってよい。音抜けの良い惚れ惚れするようなホルンの豪快な斉奏で始まり、重低音を響かせながら一気呵成に突き進む。それくらいこの曲でのオーケストラの音の厚さ、複雑な絡み合い、メロディーの美しさなど他のピアノ協奏曲と比較すると別格だ。  この指揮者はソリストに寄り添いながらも音楽の進行を常に生き生きと司り、「競奏」などというようなエゴを排した高次の「協奏」に向かっていく。ソリストを誘うのでなく、大オーケストラが前方の空気を律し、ソリストが堂々を歩めるよう道を先導する。どの音符もないがしろにされず、どの瞬間も聴き手の心を熱くさせずに虚ろに鳴り響くことがありません。安定の手兵との共演でなく他の管弦楽団への客演ということで、そこが一層緊張感をはらんでいて、しかもその緊張が良い方向にあらわれている。  またピアノも音も複雑に入り組んでおり、ピアノとオーケストラが一体となった時の高揚感はとんでもないものがある。それだけにやや訥弁で、控え目ではないかとソリストの演奏を感じてしまいがちだが、完璧な管弦楽だからこそ、カーゾンは若いブラームスの心情の純粋さと脆さを非常によく伝えていけるのです。第2楽章に耳を傾けてください。カーゾンの独奏は、一つ一つ音を噛みしめながらも、ごく自然に音楽の「間」を作り、管弦楽の荘重な響きの平原を印象的に昇っていきます。弦楽器が低音で非常に美しく呟き、金管楽器の思いがけない強奏がこの楽章のレクイエム的な性格を際立たせるなかに、もっと個人的な心情のたゆたう様子がピアノによって表現される。  交響曲を書き上げたいという作曲家の想いが強かったばかりに、ブラームスのこの作品が、多少若書きのアンバランスがあるがゆえに、指揮者の工夫とソリストの反応次第で、聴き手の心に紛れのない痕跡を残していく音楽になるのだろう。くわえて、プロデューサーのジョン・カルショーと録音エンジニアのケネス・ウィルスキンソンがキングスウェイ・ホールで録音したものである。これだけの好条件が揃えば、悪かろう筈がなく、期待に違わぬ素晴らしいレコードです。  幅広くヨーロッパの文化を受けとり、自国だけではなく、世界中で芸術活動をし、それでいて本当にロシア人が理想とするロシア人のような人でした。あの時代、自分の感情を自由に表すことは社会的に無理でした。苦しいところ、気をつけないといけないところが沢山あったので、表には出さず、自分の心の動きを見つめていたのではないでしょうか。子供の頃から文学好きの愛国者で、ロシアの歴史や文化、民族音楽を深く理解していただけでなく、全世界にも強く興味を持ち、数ヵ国語を話すことができました。  特にチャイコフスキーの歌曲からそんな背景が見えてきます。少しずつ自分の苦しい気持ちを語りだされる「ただ憧れを知る者のみが」ですが、次第に我慢出来なくなって、ずっと抑えられていたパッションや絶望が噴火してしまいますが、再び自分の内の世界に戻って平明な歌になる。日本人にも文化的に通じるところがあるように感じています。チャイコフスキーの音楽は日本でも大変人気があります。ロシアの自然、生活感から生み出される深い憂愁、甘美さ、烈しさにみなぎっているメロディーはドラマティックでチャイコフスキーの作品本来の魅力をたっぷり味わうことができます。 ブルガリアの名歌手、ギャウロフが歌ったロシア語による歌を収めたアルバムです。通販レコードのご案内GB DECCA SXL6530 ニコライ・ギャウロフ ロシア歌曲集ブルガリア山間部の温泉地、ヴェリングラトの生んだ20世紀を代表するバス歌手の一人、ニコライ・ギャウロフ(1929-2004)は、幼少時にはピアノ、ヴァイオリン、クラリネットを習っていましたが、20歳から声楽に転向、ブルガリア国立音楽院で1年間勉強し、その後はモスクワ音楽院で1955年までの5年間学んで実力をつけます。  ギャウロフが注目を集めるのは1955年のパリ国際音楽コンクールでの優勝がきっかけで、すぐにプロとしてのキャリアをスタート、スカラ座やウィーン、コヴェントガーデン、ボリショイ劇場などにも出演するようになります。  ブルガリアはソ連とは同じスラヴ系言語ということで緊密な関係にあり、ギャウロフも声楽の本格的な勉強はモスクワで長期間おこなうなど、ロシア語作品は最重要なレパートリーとして積極的に取り組んでいました。1960~1970年代の脂ののった艶のある声は、ロシア・オペラには無くてはならない役にはまった歌唱なのです。ロシアの叙事詩を歌った歌曲や民謡なども、ドラマティックな特性が的確なバランスで歌われた名唱です。戦後最大のバス歌手と称される、名声を確立した1970年代に入って録音された歌曲アルバム。ギャウロフの最初の妻でピアニスト、息子の指揮者ヴラディーミルの生みの母でもあるズラティーナ・ミシャコワの伴奏で1971年にデッカでセッション録音したアルバム「ロシア歌曲集」。チャイコフスキーの「ドン・ファンのセレナード」では、ドン・ジョヴァンニ役でも高評価のギャウロフらしい粋な歌を聴かせます。Side-1チャイコフスキー:Nyet, tolko tot, kto znal(6つのロマンス Op.6 第6番 ただ憧れを知る者のみが)チャイコフスキー:Ni slova o drug moy(6つのロマンス Op.6 第2番 語るな、友よ)チャイコフスキー:Serenada Don-Zhuana(6つのロマンス Op.38 第1番 ドン・ファンのセレナーデ)チャイコフスキー:To bylo ranneyu vesnoi(6つのロマンス Op.38 第2番 それは早春のことだった)チャイコフスキー:Sryed shumnovo bala(騒がしい舞踏会の中で)チャイコフスキー:Blagoslavlyayu vas, lesa(森よ、私は祝福する)Side-2ボロディン:Dlya beregov otschizni dal'noi(For the Shores of Your Distant Homeland 遠い祖国の岸へ)グリンカ:Nochnoy smotr(The Night Review 真夜中の閲兵)ルビンシテイン:Melodya(メロディー)ダルゴムイシスキー:Chervyak(虫けら)ダルゴムイシスキー:Nochnoi defir stroont efir(夜のそよ風が穏やかに漂う)ダルゴムイシスキー:Starij Kapral(老伍長)  東欧ブルガリアからは、最も低い男声バスの名歌手が輩出されている。ボリス・クリストフ、ニコライ・ギュゼレフ、そして2004年に他界したニコライ・ギャウロフである。まさに〝バスの王国〟である。ギャウロフが育った家庭は貧しく、買ってもらえた楽器はハーモニカだったという。しかし彼には、神様から与えられた美声があった。  第二次大戦に向かっていく時代の小国の貧しい寒村の出身で大戦後も共産圏の国家でしたから、若い頃はたいそう苦労したそうです。そうしたなかでもヴァイオリンやピアノ、それにクラリネットを学びます。あるとき彼はオーケストラで合唱や独唱者のついた大規模な曲の指揮を振ることになりました。ところがこの独唱者がへっぽこで何度言っても彼の言うとおりに歌ってくれません。いい加減頭にきた彼は「いいか!こうやって歌うんだ!」と独唱者の代わりにオーケストラに合わせて歌ってやりました。すると合唱もオーケストラもみんな呆然としてしまいました。訝る彼に独唱者は言いました。「君が歌うべきだよ」それほど彼の歌が素晴らしかったのです。  しかもその素晴らしい声に加えて、彼はどんな役にも存在感を与えるだけの卓越した表現力を兼ね備えています。1950年代の終わり頃から国際的な活動を始めたギャウロフの歌には、〝バスの帝国〟ロシアの歌手たちの力任せの歌唱とは一味違って、知的な洗練が施されていた。1971年、ウィーン、ゾフィエンザール録音。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 天上の天使たちも、地上の兵士たちも、群集も手をたずさえて平和を祈る。 通販レコードのご案内《英プレス、ワイドバンドED3盤》GB DECCA SXL6428 ヴィシネフスカヤ&ロストロポーヴィッチ ブリテン&チャイコフスキー歌曲集 ショスタコーヴィチにも愛されたロシア・オペラ界きってのソプラノ歌手であるガリーナ・ヴィシネフスカヤ(Галина Павловна Вишневская 、ガリーナ・パーヴラヴナ・ヴィシュニェーフスカヤ、1926年10月25日 - 2012年12月11日)は、1952~174年までボリショイ劇場のソリストとして活躍し、私生活では55年にムスティスラフ・ロストロポーヴィチと結婚。70年にロストロポーヴィチが反体制派作家のソルジェニーツィンを擁護して当局から国内外の演奏活動を妨害されると、74年に国外へ脱出した夫に同行。やがて首都ワシントンに暮らすようになり、78年には二人ともソ連国籍を剥奪されるも、1990年にゴルバチョフ政権下の祖国へ帰国。その後は、後進の育成にあたる一方で、夫とともに子どもの医療改善を目指すビシネフスカヤ=ロストロポーヴィチ財団を設立して現在に至っています。  ピアノの名手でもあった夫を伴奏に迎え、彼女のレパートリーの中核をなすチャイコフスキーの歌曲と、ブリテンが彼女のためにロシア語で書いた歌曲。彼女自身が「私の人生で最も重要な録音プロジェクト」と語る歴史的名演が、本盤です。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで  セルとクリーヴランド管弦楽団とも違って、セルがロンドン交響楽団に客演した演奏にはすごみが増す。ピアノ付き交響曲とも言われるブラームスのピアノ協奏曲。ピアノ協奏曲というよりは交響曲という佇まい、風格を持った曲だ。  シンフォニーの前奏を想起させる冒頭から指揮者の尋常でない気迫が伝わってきます。この曲は、第一楽章がほぼ総ての曲の革新であるので、ここをどのように解釈し演奏するかに曲全体の成功の正否が掛かっていると言ってよい。音抜けの良い惚れ惚れするようなホルンの豪快な斉奏で始まり、重低音を響かせながら一気呵成に突き進む。それくらいこの曲でのオーケストラの音の厚さ、複雑な絡み合い、メロディーの美しさなど他のピアノ協奏曲と比較すると別格だ。  この指揮者はソリストに寄り添いながらも音楽の進行を常に生き生きと司り、「競奏」などというようなエゴを排した高次の「協奏」に向かっていく。ソリストを誘うのでなく、大オーケストラが前方の空気を律し、ソリストが堂々を歩めるよう道を先導する。どの音符もないがしろにされず、どの瞬間も聴き手の心を熱くさせずに虚ろに鳴り響くことがありません。安定の手兵との共演でなく他の管弦楽団への客演ということで、そこが一層緊張感をはらんでいて、しかもその緊張が良い方向にあらわれている。  またピアノも音も複雑に入り組んでおり、ピアノとオーケストラが一体となった時の高揚感はとんでもないものがある。それだけにやや訥弁で、控え目ではないかとソリストの演奏を感じてしまいがちだが、完璧な管弦楽だからこそ、カーゾンは若いブラームスの心情の純粋さと脆さを非常によく伝えていけるのです。第2楽章に耳を傾けてください。カーゾンの独奏は、一つ一つ音を噛みしめながらも、ごく自然に音楽の「間」を作り、管弦楽の荘重な響きの平原を印象的に昇っていきます。弦楽器が低音で非常に美しく呟き、金管楽器の思いがけない強奏がこの楽章のレクイエム的な性格を際立たせるなかに、もっと個人的な心情のたゆたう様子がピアノによって表現される。  交響曲を書き上げたいという作曲家の想いが強かったばかりに、ブラームスのこの作品が、多少若書きのアンバランスがあるがゆえに、指揮者の工夫とソリストの反応次第で、聴き手の心に紛れのない痕跡を残していく音楽になるのだろう。くわえて、プロデューサーのジョン・カルショーと録音エンジニアのケネス・ウィルスキンソンがキングスウェイ・ホールで録音したものである。これだけの好条件が揃えば、悪かろう筈がなく、期待に違わぬ素晴らしいレコードです。 (さらに…)...
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おしゃれクラシック/甘美と哀愁の狭間で〜ハート・オブ・チャイコフスキー イギリス・デッカの優秀録音

おしゃれクラシック/甘美と哀愁の狭間で〜ハート・オブ・チャイコフスキー イギリス・デッカの優秀録音

子どもたちがクラシック音楽に親しみ、知識とし喜びを見出すことを楽しみとした、カマラータの確かな演奏による充実作で夢見心地の素晴らしさ。通販レコードのご案内《英プレス、Phase4》GB DECCA PFS4140 カマラータ/キングズウェイ交響楽団 THE HEART OF TCHAIKOVSKY トゥッティ・カマラータ(Tutti Camarata)はベニー・グッドマン、ルイ・アームストロング、ビング・クロスビー、ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、デューク・エリントンらとの共演。トミー&ジミー・ドーシー楽団やベニー・グッドマン楽団のリード・トランペッターとして活躍し、ジミー・ドーシー楽団のヒット曲を作曲したことに始まり、同時に作編曲家としても活動の幅を広げた、ジャズの時代を築いてきた人物の一人です。1940年代中盤以降は、映画音楽など裏方として活動。  近年ではアレサ・フランクリン、リンゴ・スター、バリー・マニロウ、ジェネシス、ヴァン・ヘイレンといった多彩なミュージシャンのアルバム制作に関わっている。  彼は子どもたちがクラシック音楽に親しみ、知識とし喜びを見出すことを楽しみとし、ディズニーランドレコードで300枚のアルバムを制作した。ハリウッドでの音楽貢献は計り知れない。  NHKのラジオ深夜便などで聴く機会も少なくない、どの曲もラジオ放送向けに仕立てなおしている。CDが発売され始めた頃には、作曲家(リムスキー=コルサコフ、ボロディン、ラフマニノフ、プッチーニ、ヴェルディ、ビゼー、サン=サーンス、ラヴェル、サティ、ガーシュウィン、ヨハン・シュトラウス、バッハ)それぞれのエキゾチックな名曲をコンパクトにアレンジ、まとめたシリーズは喫茶店やレストラン、ホテルのフロントでのBGMとして評判でした。 「THE HEART OF TCHAIKOVSKY」は、甘美と哀愁の極まれるチャイコフスキーの楽曲をジャズやポップス、イージーリスニングにと彩る1枚。キングズウェイ交響楽団は、クレジットは無いが名手を揃えた、録音のための臨時編成オーケストラ。確かな演奏による充実作で夢見心地の素晴らしさ。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 他では絶対に聴けないような歌い回しに酔いしれた。通販レコードのご案内GB DECCA ECS703 ショルティ/パリ音楽院管弦楽団 イスラエル・フィル チャイコフスキー 交響曲第2番「小ロシア」 デュカス:魔法使いの弟子「リング」でその名前が一躍グローバルになる直前、1950年代のショルティを代表する名演。ショルティとカルーショーの結びつきは、一般にはワーグナー「ニーベルングの指輪」全曲録音の偉業を成し遂げた二人、という側面でよく知られている。だが実際にはそれだけではなく、カルーショーはショルティについて『ヴィクター・オロフとの最初の一枚以外は、何か理由があったり多忙だったりしたときを除いて、すべて私が彼と一緒に仕事をしていた』と述べている。以後、デッカ時代におけるショルティとの最後の仕事とされるヴェルディ「レクイエム」を制作した1967年10月まで、カルーショーとショルティの長い関係が続いた。  1950年代にデッカはパリ音楽院管とよく仕事をしており、モントゥー、マルティノン、ヴォルフらがフランスものやロシアもののレパートリーを録音していた。「小ロシア」の録音はパリのラ・メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテで響きは多くなく直接音が入っている。同時期に5番も録音されている。ショルティがこの曲を録音しようとした時、リハーサルと本番で主席奏者が入れ替わったり、兵役で4人の奏者が交代したりとトラブルはあったが、この時期ならではの若々しいショルティの息吹がグイグイと伝わって来る快演です。「小ロシア」は、チャイコフスキーの後期交響曲以外ではよく録音されていた。  チャイコフスキーの生きた19世紀は民族主義運動の勃興の時代。オーストリアの音楽家が毎年訪れていた音楽界、我が国ロシアこそと、音楽芸術の世界では民族主義的な音楽が持て囃されていたのでした。若いチャイコフスキーが数々のウクライナ民謡を単に引用するのではなく、交響曲の骨子となる全曲の主題として採用したことに、これからの音楽のあり方を模索していた五人組の新進作曲家たち ― バラキレフ、ボロディンやリムスキー=コルサコフなども絶賛した、この交響曲第2番は、作曲家ではなく当時活躍していた評論家によって「小ロシア」というニックネームが与えられている。大変にウクライナ色の強い交響曲ということで「小ロシア」というタイトルなのですが、ウクライナ国に対する蔑称的色合いがあるとのことで近時は「ウクライナ」と記載することが多くなっている。  この曲の文脈においては、「小ロシア」という言葉には、純粋にロシアの親戚のような国という意味でしかありません。有名な後期三大交響曲に知名度においては遠く及びませんが、西欧音楽理論の粋である、優れた管弦楽法をマスターしていた作曲家チャイコフスキーの交響曲、両端楽章にあらわれるロシア臭たっぷりのメロディーに惹かれる。管楽器が大活躍の耳へのご馳走様。メロディたっぷりの楽しい音楽。ウクライナ系3代目ロシア人チャイコフスキーの作曲。三つの実在のウクライナ民謡が取り込まれている、全曲に祖父の国への親愛の情に溢れています。全曲民謡風の親しみやすい歌えるメロディの宝庫なのです。フィナーレはウクライナ民謡「鶴」を主題として展開してゆく大いなる交響楽章。金管楽器の派手な響きや管楽器の妙などが曲を支配していて、いわゆる深みがない分だけ、純粋な音楽的愉悦を味わえる音楽です。ショルティ盤では他では絶対に聴けないような歌い回しに酔いしれました。英国デッカ社では、この時期、ショルティと関係良好だったウィーン・フィルと後世に語り継がれるオペラを、ウィーンのソフィエンザール(カルーショーがお気に入りだったリング収録場所)で次々と録音している。その一方でその録音セッション合い間に英国のオーディオファイルに向けて、ロンドン響やイスラエル・フィルと有名管弦楽曲の録音も目論んでいた。1957年にデッカはイスラエル・フィルとの録音を開始し、その最初がショルティ指揮のセッションだった。テル・アヴィヴから車で45分もかかるリション・ル・ジオン村にある映画館で録音された。ショルティの指揮する曲は概して大胆さや迫力で押し切る傾向が有りますが、何故かイスラエル・フィルを振るとそこに丁寧さとかつ美しいが加わるから不思議です。例えれば、怒濤のような旋律の中で、ぱっと花が咲くように美しいメロディーが流れる。この点にかけては、ショルティは見逃さず見事に再現している。言い換えればダイナミックレンジが広いとでもいえましょうか、ジョン・カルーショーの意図したものが再現されていると言ってもよいかも知れません。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで ブルガリアの名歌手、ギャウロフが歌ったロシア語による歌を収めたアルバムです。通販レコードのご案内GB DECCA SXL6530 ニコライ・ギャウロフ ロシア歌曲集ブルガリア山間部の温泉地、ヴェリングラトの生んだ20世紀を代表するバス歌手の一人、ニコライ・ギャウロフ(1929-2004)は、幼少時にはピアノ、ヴァイオリン、クラリネットを習っていましたが、20歳から声楽に転向、ブルガリア国立音楽院で1年間勉強し、その後はモスクワ音楽院で1955年までの5年間学んで実力をつけます。  ギャウロフが注目を集めるのは1955年のパリ国際音楽コンクールでの優勝がきっかけで、すぐにプロとしてのキャリアをスタート、スカラ座やウィーン、コヴェントガーデン、ボリショイ劇場などにも出演するようになります。  ブルガリアはソ連とは同じスラヴ系言語ということで緊密な関係にあり、ギャウロフも声楽の本格的な勉強はモスクワで長期間おこなうなど、ロシア語作品は最重要なレパートリーとして積極的に取り組んでいました。1960~1970年代の脂ののった艶のある声は、ロシア・オペラには無くてはならない役にはまった歌唱なのです。ロシアの叙事詩を歌った歌曲や民謡なども、ドラマティックな特性が的確なバランスで歌われた名唱です。戦後最大のバス歌手と称される、名声を確立した1970年代に入って録音された歌曲アルバム。ギャウロフの最初の妻でピアニスト、息子の指揮者ヴラディーミルの生みの母でもあるズラティーナ・ミシャコワの伴奏で1971年にデッカでセッション録音したアルバム「ロシア歌曲集」。チャイコフスキーの「ドン・ファンのセレナード」では、ドン・ジョヴァンニ役でも高評価のギャウロフらしい粋な歌を聴かせます。 2020年に生誕180周年を迎えたピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840~1893年)の音楽は、私たちの心に寄り添う音楽。時に甘く、時に悲しく、深く、語りかけるその音楽は、子どもから大人まで聴く者の心をとらえて離しません。チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」ほど色彩豊かなドラマを感じて弾ける曲はないと思います。出だしから自分が主人公になった気分で興奮したり、感動したり、嘆いたり、チャイコフスキーのメロディの中にはポエムがあります。日本の歌にも寂しげな懐かしさがあるので、私たち日本人も強く共感できるのかもしれません。  そして、愛の喜びと悲しみ、人間の運命との闘い、信教上の心の動きなど。チャイコフスキーは、難解なロシアの民謡・文化をベースにしながらも、その上で色々なテーマを万国共通に分かりやすく曲にできる人でした。 幅広くヨーロッパの文化を受けとり、自国だけではなく、世界中で芸術活動をし、それでいて本当にロシア人が理想とするロシア人のような人でした。あの時代、自分の感情を自由に表すことは社会的に無理でした。苦しいところ、気をつけないといけないところが沢山あったので、表には出さず、自分の心の動きを見つめていたのではないでしょうか。子供の頃から文学好きの愛国者で、ロシアの歴史や文化、民族音楽を深く理解していただけでなく、全世界にも強く興味を持ち、数ヵ国語を話すことができました。  特にチャイコフスキーの歌曲からそんな背景が見えてきます。少しずつ自分の苦しい気持ちを語りだされる「ただ憧れを知る者のみが」ですが、次第に我慢出来なくなって、ずっと抑えられていたパッションや絶望が噴火してしまいますが、再び自分の内の世界に戻って平明な歌になる。日本人にも文化的に通じるところがあるように感じています。チャイコフスキーの音楽は日本でも大変人気があります。ロシアの自然、生活感から生み出される深い憂愁、甘美さ、烈しさにみなぎっているメロディーはドラマティックでチャイコフスキーの作品本来の魅力をたっぷり味わうことができます。 Side-1チャイコフスキー:Nyet, tolko tot, kto znal(6つのロマンス Op.6 第6番 ただ憧れを知る者のみが)チャイコフスキー:Ni slova o drug moy(6つのロマンス Op.6 第2番 語るな、友よ)チャイコフスキー:Serenada Don-Zhuana(6つのロマンス Op.38 第1番 ドン・ファンのセレナーデ)チャイコフスキー:To bylo ranneyu vesnoi(6つのロマンス Op.38 第2番 それは早春のことだった)チャイコフスキー:Sryed shumnovo bala(騒がしい舞踏会の中で)チャイコフスキー:Blagoslavlyayu vas, lesa(森よ、私は祝福する)Side-2ボロディン:Dlya beregov otschizni dal'noi(For the Shores of Your Distant Homeland 遠い祖国の岸へ)グリンカ:Nochnoy smotr(The Night Review 真夜中の閲兵)ルビンシテイン:Melodya(メロディー)ダルゴムイシスキー:Chervyak(虫けら)ダルゴムイシスキー:Nochnoi defir stroont efir(夜のそよ風が穏やかに漂う)ダルゴムイシスキー:Starij Kapral(老伍長)  東欧ブルガリアからは、最も低い男声バスの名歌手が輩出されている。ボリス・クリストフ、ニコライ・ギュゼレフ、そして2004年に他界したニコライ・ギャウロフである。まさに〝バスの王国〟である。ギャウロフが育った家庭は貧しく、買ってもらえた楽器はハーモニカだったという。しかし彼には、神様から与えられた美声があった。  第二次大戦に向かっていく時代の小国の貧しい寒村の出身で大戦後も共産圏の国家でしたから、若い頃はたいそう苦労したそうです。そうしたなかでもヴァイオリンやピアノ、それにクラリネットを学びます。あるとき彼はオーケストラで合唱や独唱者のついた大規模な曲の指揮を振ることになりました。ところがこの独唱者がへっぽこで何度言っても彼の言うとおりに歌ってくれません。いい加減頭にきた彼は「いいか!こうやって歌うんだ!」と独唱者の代わりにオーケストラに合わせて歌ってやりました。すると合唱もオケもみんな呆然としてしまいました。訝る彼に独唱者は言いました。「君が歌うべきだよ」それほど彼の歌が素晴らしかったのです。  しかもその素晴らしい声に加えて、彼はどんな役にも存在感を与えるだけの卓越した表現力を兼ね備えています。1950年代の終わり頃から国際的な活動を始めたギャウロフの歌には、〝バスの帝国〟ロシアの歌手たちの力任せの歌唱とは一味違って、知的な洗練が施されていた。1971年、ウィーン、ゾフィエンザール録音。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで スタンリー・ブラックの「大いなるロシア!」通販レコードのご案内GB DECCA PFS4084 スタンリー・ブラック ロンドン祝祭管弦楽団 ロシア曲集フェイズ4の華やかな録音が世界各国の美しいメロディーをさがしました。楽しいお国めぐり、今回は……ロシアには人の心の琴線に触れる音楽の雄大な土壌があることを実感する貴重なアルバムだ。1960/70年代に君臨したムード・ミュージックの雄、スタンリー・ブラック。ロシアものともなれば極めつけ。ロシア民謡をはじめとするお馴染みの旋律が雄大なサウンドに変身。こういう徹底して真剣にドラマティックな造り方は、今となっては生れ得ない貴重なもの。とくに東西という枠組がなくなりつつある現在では。子供の頃からロシア民謡は大好きだった。世界の民謡の中で傑出しているのはロシアとイタリアだと思う。もちろん民謡だから人の声で聴くのが一番心に訴えかけてくるのだけれど、器楽の演奏にも素晴しいものがある。スタンリー・ブラックの「大いなるロシア!」は、1966年にLONDONのphase 4 stereoシリーズとして録音されたものだ。 この録音で用いられた《Phase 4 Stereo》はDeccaが1960年代初頭、他社に先駆けて導入した20チャンネル・マルチトラック収録。メカ好きで有名だったストコフスキーはポピュラーやイージー・リスニングの分野で採用されはじめていたPhase 4 Stereo(フェイズ・フォー・ステレオ)方式を自身の録音に応用しようと提案。そのため、レコーディング・スタッフもDeccaの通常のクラシック収録とは違う、専門チームが当たったといいます。 Side-1メドウランド二つのギターモスコーの夜は更けてバラライカでSide-2剣の舞黒い瞳トレパークヴォルカの舟歌バーバヤガーの小屋〜キエフの大きな門 スタンリー・ブラックの胸のすくアレンジでマンモス級のスケールの大きなロシア民謡が展開される。オーケストラ・合唱はロンドン・フェスティヴァル管弦楽団・合唱団。 冒頭は「メドウランド」、これはポーリュシカ・ポーレ(美しき草原)をアレンジしたもので、ロシアの大草原を彷彿とさせるダイナミックな演奏。 「二つのギター」は哀愁にあふれた美しい曲。 「モスコーの夜は更けて」はダーク・ダックスが日本に紹介して日本人の心を虜にした曲で、ここでは合唱団のバスが効いた重厚な演奏。 「バラライカで」はタンゴのリズムでバラライカとストリングスが甘いメロディーを奏でる。 「剣の舞」は打楽器と金管が大活躍し、迫力満点。 良く知られた「黒い瞳」は情熱的な黒い瞳を持ったジプシー娘を歌った美しい曲。このアレンジは最高だ。ふとした時に、私はよく、この演奏が心に浮かんできて、口ずさんでしまう。 「トレパーク」はチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の中の「道化の踊り」。 「ヴォルガの舟歌」はロシア民謡の中で一番初めに好きになった曲。暗い歴史を持つ労働歌だが、重労働である舟曳きに、この歌を歌って耐えたロシアの民衆の心が伝わってくる気がする。 最後の「バーバ・ヤガーの小屋~キエフの大門」はムソルグスキーの「展覧会の絵」の最後の2曲。ラヴェルの編曲をスタンリー・ブラック風に更にダイナミックに仕上げてアルバムを締めくくる。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで ロシアの原曲が光るアルバムです。通販レコードのご案内JP LONDON L25C-3033 ショルティ シカゴ交響楽団 ムソルグスキー・展覧会の絵/ラヴェル・クープランの墓ショルティはオーケストラを支える名手を上手に登用しながら最高水準の音楽を作り上げていきます。アンサンブルの緻密さは言うまでもなく、ソロ楽器の巧みさ、ダイナミックな力感、どれをとっても最高レベルの内容。シカゴ交響楽団メンバーの名人芸が光る作品です。20世紀におけるオーケストラ演奏の粋がここにあります。ムソルグスキーの独創的なピアノ作品をラヴェルが華麗にオーケストレーションした『展覧会の絵』。20世紀におけるオーケストラ演奏の粋がここにあります。迫力満点のオーケストラの醍醐味がたっぷりと味わえる一枚。1980年録音の本盤演奏はロシア指揮者による土俗っぽいものではなく、かと言って洒落たものでもないけれど、ショルティの研ぎ澄まされたバランス感覚とヴィルトゥオーソ集団のシカゴ響による完璧なアンサンブルにより、重量感と透明感が同居した圧倒的な演奏です。1980年5月5-8日シカゴ、メディナ・テンプル録音。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで (さらに…)...
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ブルックナー・ファン必聴のケンペ チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 交響曲8番 2種

ブルックナー・ファン必聴のケンペ チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 交響曲8番 2種

ブルックナー・ファン、ケンペ・ファン、必聴の名盤。通販レコードのご案内CH exlibris EL16 607 ルドルフ・ケンペ チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 ブルックナー:交響曲8番ケンペらしい、ドイツらしい引き締まって美しい弦の響きと、意外に豪快な金管の組み合わせが絶妙な名演。スイスの高級レコード頒布会社Ex Librisから1973年に発売され、録音の優秀さでも話題となりました。権利関係が複雑なためか2000年代までCD化されず、幻の名演としてマニアの間で再発が待望された名盤のオリジナル盤です。1971年11月12・13日チューリッヒ、トーンハレ録音。日本ではLP2枚組としてケンペが亡くなる直前の1975年に発売され、その解説を担当した評論家宇野功芳が「極めてユニークで内省的な演奏」と紹介しました。評判のクナッパーツブッシュや朝比奈、後年話題になったヴァントと聴き比べても、ケンペ盤は同じようなアプローチのようでいて、宗教性とか、虚心坦懐に音楽と向き合うとか、そういう言葉では括れない態度を感じます。ケンペは言うさがすべきではない。めぐり合うべきである。さがすということは、意識的な小細工を意味する。めぐり合うのは、作曲者とその音楽に対する献身の結果である。〝内省的〟とは、神に畏怖しながらも、萎縮することなく対峙しているケンペの裸の心を評言している。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで 録音の優秀さでも話題となったレコードの4チャンネル版。通販レコードのご案内CH TUDOR 74003/04 ルドルフ・ケンペ ブルックナー:交響曲8番この盤はケンペが亡くなくなる直前にTUDORレーベルから発売された、Ⓟ1974盤。オリジナルのEx Libris盤は、Ⓟ1973。この録音は70年代前半に登場した4チャンネル再生システム用に録られたこともあり残響豊か。チューリヒ・トーンハレのホールトーンを感じさせており、ブラスが響きわたるときの充実感は特に素晴らしい。通常のステレオカートリッジで問題なく再生できます。ノイズはほとんどありません。オーダーはリンク先の詳細掲載ページで (さらに…)...
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